Carpe Diem

Think good thought.

価値の話(ゼロ円札の価値)

 

 先日博物館にてとても興味深いものを発見した。頭の体操というか好奇心と言うか。とても心地の良い問いがそこにはあった。ある種の人はその楽しむに心を奪われてうまく行けば一ヶ月程過ごせるかもしれない。それは少し大げさではあるが。

 額の中に一枚の紙幣が飾られていた。その博物館というか美術館自体の入場は無料。そしてその額の中にあったのはゼロ円札。ポップカルチャーの特集されている空間にあった作品の一つであったように思う。そこで思った。ゼロ円札の価値とは何か。それよりもまず先に浮かんだ問いは、ゼロ円札の価値はいくらか(つまり値段、価格はいくらか)ということだ。何でもものがつくられる際にはコストがかかる。すべてのものがつくられ、管理され、運ばれ、展示され、使われあるいは消費される。その家庭で関わっている人に対して対価を払う必要があるし、単純にものを買ったり調達することに何かしらの対価(多くの場合かお金)を払うことも避けられない。

 当たり前のことではあるが、貨幣を造るのにもお金はかかる。一円をつくるには一円をつくるだけの費用がかかるし、一万円と五千円だってつくっているインクや質が少しは異なるだろう。そしてそれなりにコストは違っていく。

 効果や金貨。信用や経済の話になると難しくなってしまうが、それぞれに信用を得ていて、それぞれの価値を持って市場で流通している。一円玉は一円玉の価値を持ち、一万円は一万円として扱われる。それでこそしっかり世界が毎日動いているし、今日明日でその辺が容易に変わってしまうと問題が起こることは目に見えている。

 一円玉のコストは一枚につき3円あたりと一年前はいわれていたらしい。それでも一円は一円なのだ。一円玉一枚につき10何円の赤字と言う面白いことも聞いたことがある。けど、(けどという接続詞がふさわしいかはさておき)一円は一円なのである。

 ゼロ円とはただのことを言うのか。ゼロ円のものはぱっと想像しにくいと思ったがそうでもない。空気も、ある場合は水もただなのかもしれない。けどやはり、ただのものに対して対価を払う、ゼロ円のものに対して零円を払った経験はないから不思議な気がする。それでは対等ではないがする。ゼロなのに、ものを返す。

 そして、ゼロ円札は紙であるしそれをつくるには明らかにお金がかかっている。わざわざつくる意味はあるのか。そして、ゼロ円札の値段と価値はどう表現したら良いのか。