古着屋、CD、あるいは古本屋において。
どんなものに、どのように意味を見出していくのかが生きている意味だと思う。
例えばそれは古着屋で。
いくつもの服や鞄、装飾品が並んでいる。
興味がない人にとっては同じような服にしか見えない。
その中にキラリと光るものを見つけられる人。
自分が求めていたものがここにあったとわかったときの喜び。
服に恋するとよく言うが、価値があると思っていたものを思いがけず見つけられるのは嬉しい。
CDを買うのもそうだろう。
CDやレコードを集める人々。
所有。
経験に対してお金を払うのと物質に対してお金を払うのは少し性格が異なる。
一生続くものを購入、所有できる場合もあれば、形がなかったり保存できないものもある。
同じアーティストでも、通常のCDを買うのとLIVEに行くこと、LIVE版のCDを買うのではいくらか感じが異なるのかもしれない。
はっきりと区別をつけることは難しいが、体験を買うために物質を購入する必要があることは確かだし、それがいつのまにか物質の収集にすり替わっている人もいるのだろう。
古本、古着屋は新品とはまた異なった面白みがある。
自分は求めているけど世間ではそれほど求められていないもの。
自分が判断した価値で手に入れることができたときの喜び。
それほど市場に出回っていないものを自分の足を使って見つけていく興奮。
新品の、当たり前のようにそこに売ってあるものを手に入れるのとは異なる。
見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
思った以上に高いかもしれないし、安すぎるかもしれない。
見つけられた幸運に感謝するべきか、苦労はしたものの自分の価値とうまく合わないので遠慮するか。
他人には全くわからない種類の苦悩や喜びだと思う。
これらの感情が道上の些細な部分を彩ることもあれば、人生の起伏全体に大きく関わってくる人もいる。
他人と買い物に行くと、なんでこんなものに執着していたりこんなものに価値を見出せるのかと疑問を感じることがあるだろう。
自分だけにしかわからないものは案外多い。
そしてそのほとんどが自分を作り出しているかもしれない。
何に感動するのか、お金を無視してでも手に入れたいと思うのか、悲しみを感じ、心を動かされ、全てを与えたい、奪いたいと思うのか。
大げさなことではなくても身近な、小さすぎて自分でも気づかないものでも良い。
それは、音楽かもしれないし、人かもしれないし、ものかもしれない。
ある日の空かもしれないし初めて自分で買った車かもしれない。
どんなものに意味を見出して行くか。
数多くある服の中からお気に入りの一枚をどうやって見つけ出すか。
どこに行けばそれが見つけられるか。
だんだんわかってくるはず。
服だけじゃなくていろんなもの。
自分の人生をどうして行きたいかもわかってくるはず。
何に価値を見出して、どう意味付けしていくのか。
自分にしかわからないことがあるはず。
それが全てだ。
iPodに音楽が入っている。
それらの曲は全て、自分で選択したはずだ。
iPodは買ったかもしれないし、もらったものかもしれない。
けど、そこに入っている何千曲は自分で入れたのではないだろうか。
人がやってくれることはほとんどない。
時が流れて幾つかの歌を嫌いになってしまうかもしれない。
しかし限られた幾つかのものに深い意味を見出すことはできるだろう。
そして、それが200曲であれ10000曲であれ、自分でやってきた、曲を選んだり取り込んできた軌跡があるはずだ。
時間が流れて嫌いになってしまったとしても、また好きになるかもしれない。
そして、その作業に、入っている曲に後悔する人なんているだろうか。
自分でやってきた。
興味を持った音楽を入れてきた。
聞いてみて悪いな、あまり面白くないなと思ったかもしれない。
悲しい時に聞いて、今は二度と聞きたくないと思っている曲もあるかもしれない。
けど、今持っているiPodには満足しているだろう。
そして、それなりの愛着があるはずだ。
これまで一曲一曲、一つずつアルバムを取り込んできたことを後悔する人なんてまずいないだろう。
その音楽を取り入れる時は新しいものに興奮していたかもしれない。
期待はずれだったかもしれないがその音楽を聞くまでは期待していたはずだし、その落ち込みさえもが思い出となったであろう。
今持っているiPodばかりを見て、これまで自分が払ってきたお金や、CDを探し回った手間暇を忘れているかもしれない。
そんなことをわざわざ思い出す必要が必ずあるわけじゃない。
そんなことをしなくたってiPodを好きに思っているだろう。
自分が、自分で選んできたものがそこには詰まっているから。
そしてそれらの音楽は、今日この瞬間まであなたを支えてきた。
そんなものを、嫌いになるはずがない。
後悔すら全くしていないだろう。
人生も、それと同じなんじゃないかと思う。
自分という箱のようなものの中に何を詰め込んできたのか。
間違いなく、それは自分で選択してきたものだろう。
後悔するはずなんてないのだ。
今日も、好きな物、ワクワクするものを取り込んだだろうか。
期待していたほどじゃないものを手に入れた日だったかもしれないが、音楽を取り込んだのと同じように、それは自分がどこかから手間暇かけて探したものであって、気づかないかもしれないけどしっかりと蓄積されている。
そんなことを考えたら、毎日楽しくなったりするんじゃないだろうか。
今日はどんなものを取り込んだんだろうか。
当たり前だけど、あなたのiPodはあなたしか操作することができない。
他人が勝手に曲を取り込むことはできないし、そもそも他人のものはそれほど気にならないでしょう。
思いっきり変えてやろうとか、あいつが聞いているものはおかしいとか。
そして、他人も自分と同じように一曲一曲、毎日毎日を取り込んできたのかと考えてみると、簡単に壊せないなあと思うでしょう。
自分のiPodが簡単に壊されたらもちろんものすごい憤りを感じるだろう。
その時はこれまでも思い出が溢れ出てくるかもしれない。
人生も同じ。
他人のことを思えば簡単に壊そうなんて思えないはずだ。
皆貴重でかけがえないものを持っているはずだから。
自分以外の人が簡単に変えられるものでもない。
というよりはやはり、自分しか手をつけることができないものなのだ。
時に音源や、体験の機会を他人と共有することはできる。
それでも取り込まれたものは人それぞれ決して同じではないだろう。
That's all about jazz.