Carpe Diem

Think good thought.

Page Oneと創造性  

 

 帰国ついでに、香港国際空港でお土産を探していた。海外に行ったらいつものようにその土地の名前が入ったプレートやマグネットを買って自宅ではない場所に展示している。今回そのマグネットを見つけた場所が偶然にもPAGEONEという書店だった。以前調べたときには香港に3店舗あるとのこと。少なくとも2つは自分で見て回ったしたまたま空港にも小さい店舗があった。この書店の印象はとても良い。雑貨といったら良いのか、本以外のものが多い。マグカップ、他の国のキャラクター、芸術に関する道具、おもちゃ。様々な国の様々な用途に用いられる商品を面白く取り揃えている。カラフルであり温かい。本に関しても芸術に関する取り揃えが充実している。店舗に入った瞬間目に入るのは巨大な写真を主とした本の山積み。売っているのか展示されているのか一瞬忘れてしまう程の迫力がある。そして、日本ではこのような空間はあまり目にしない。専門店のようの雰囲気もある。

 日本は創造性の豊かな国らしい。今日の新聞で読んだ。しかしながら自分のことを創造的だと感じられている国民がもの凄く少ないという記事。絵が下手であることと創造性がないことは違う側面で見るべきである、かもしれない。創造性。アートがどれだけ身近にあるか。芸術だけではなくて学問、日常。線引きは有効でありながら時にその可能性を狭めてしまう傾向を持っているだろう。如何に優れた文化や素質をその人や国が持っていようとも(と、他の国や他の人から認識されている)、そのことを自分自身で創造的であったり才能があったりと認識できないことは少なくない。環境的にそう捉えてしまうのか、認識しないことで特に問題がないと考えている人も多いかもしれない。しかし、他から見ると、大多数の人にとってはそれがもったいないものとして映る。なぜあれほど、才能があるのに彼は気づいていないのか、より力を発しようとしないのか。そのような意見を持つ人は、そのような能力が発揮されることを自然だと捉えており、それが殺されているとしたならそれは非道であり問題と考えるだろう。しかしながら、気づかない人たちやその文化はそこに価値を見いだせない。そして、芸術とは一般とは少しかけ離れた高尚なものであると思っていたりする。誰でもやってしまえ、私にも才能があるという見方と、芸術に線を引く見方。それ故に、創造性や創造性の立場も文化やその人にとって異なる。