Carpe Diem

Think good thought.

合理性と思いやり

 

 香港に来てまず、圧倒させられた。人の多さとその動きに。通りにでたもののうまく歩くことが出来なかった。大げさではない。人の多さ、それぞれの人の勝手に見える動き、アグレッシブさ。秩序がない、カオスだとも一瞬感じた。地下鉄も人が多すぎてごちゃごちゃしているように見えるし、エスカレーターのスピードだってはやい。

 日本人って本当に人に気を使いますよね。海外で働く人が行っていた。電車の中で静かにすること、食事の場で超えの大きさを考えること。道を譲る、まず周りを考えてから自分の行動を無意識に規定していること。目的があったとしても自分だけじゃなくて周りと合わせてどのようにやればいいか考えだしていること、そしてある場合には過剰に他者のことと先を考えて不利益や面倒、困難が目につき行動をやめてしまうところ。

 合理性という言葉が浮かんだ。効率に近い意味で。一人一人が明確な目標や目的を持っていた方がいいのかもしれない。周りのことを気にすることと二者択一ではないのだが、ある時には、相手の出方をうかがうよりは自分でどんどん考えや道筋を記して、示していった方がいい場合がある。お互いが左右に道を譲り合うよりは一人が思いっきりある方向に進んでしまった方がわかりやすいのかもしれない。一方は進み、一方はよけるだけですむし、はっきりしているから。アクションが起こってから対応すればいいだけである。あなたがそうしたなら、私はこうしましょうと。あたることも別にいといません、あなたがぶつかるリスクをとってきて私がよけたいならよけます、けどあたってもいい気分なら私もぶつかりますよと。それに比べ、気を使いあう文化はもっともっと手前のアクションである。アクションの前のアクション。相手の行動を先読みして、ある時にはお互いが先読みすることで衝突も起きる。これは素晴らしくもあり不思議なことだ。時にその予防や先見的なものが大いに作用し大きな問題を未然に防いでしまう。しかし、両者が譲り合って何回も左右に同じ方向に重なってしまうことでは、本来起こらなかった面倒が(他者を思うことで)起きているということになる。これでは先に進むというよりも違う問題が起こるということで後戻りでもあり効率も良くないし合理的ではなかったのかもしれない。その時々に応じて、相手や自分の状態に合わせてあるときには道を自分から示したり譲り合ったり先読みすることが最も合理的で効率的かもしれない。