高松 商店街 美術館
大雨。
台風。
徳島では避難勧告もでたこの日。
歩くことも大変なのでアーケードのある商店街で空港までの時間を過ごした。
大街道もそうであったし高知にもこのような場所があった。
京都にもあったし日本の至る所にある。
浅草にもある。
雨の日は非常に助かる。
駅の見学もしたが疑問は多い。
未だに人が多い。
切符も人が切る。
これで雇用が守られているのかと疑問になる。
最新の技術は日本中どこでも導入できるのは間違いないのになぜしないのか。
ビルももっと商業的に有効に使えるのではないか、なんて事を考えながら。
それから高松市美術館へ。
この日は美術館の日と言うことで展示か無料で見られた。
イベントも開催されていた。
市に美術館があるというのは素晴らしいことだ。
チームラボの作品も初めて目にすることが出来た。
博物館、美術館について。
これまでいろんな場所の様々な博物館、美術館に足を運んで来た。
博物館、美術館には非常にお世話になっている。
時に時間を有効に過ごすため、好奇心の赴くままに、そして勉強等あらゆる目的で訪れて来た。
国内外で多くの場所を訪れた。
特に旅行の際は一つの国もしくは一つの地域で一カ所は足を運んだ。
ポートランドの美術館、東京の上野、ブリュッセル、バチカン、ソウル、メトロポリタンは複数回、スミソニアンに関しては毎週末訪れた。
海外にはこんなに大きい博物館や美術館があるのかと驚いたり、日本国内でも地域によって魅力や伝統工芸が異なったりまだまだ知らないことがあると感じた。
美術館、博物館は繋がりの装置だと思う。
過去、現在、将来。
現地の伝統、観光客、地域住民。
芸術家、市民、訪問客。
美術館、博物館を作った人。
この装置を作る際にも海外から作品を取り寄せたり、豊富な人脈によって成り立っている部分が多い。
それでいて、博物館、美術館は個人的な場所だ。
もちろん公共のもで、万人のためのものである。
しかしながら、そこで作品や史料と関わる個人の経験や感覚は非常に個人的なものだ。
人生に関わることにもなるし、ある人にとってはただの時間潰しかもしれないが。
同じ展示でも、人によって感じ方や学ぶものは全く異なる。
万人向けでいて非常に個人的な場所が博物館、美術館であり、その解釈や体験への自由に物凄い価値と可能性がある。
前述の様に、博物館、美術館は繋ぐ。
どんな小さな地方都市でも、立派な公共博物館、美術館があればそれを生み出せる。
アーティスト自体を招いて地域に新しい又は異なる思想や体験を提供出来るかもしれない。
多くの観光客と呼ばれる地元住民以外の人が世界中から集まるかもしれない。
美術館、博物館は単に娯楽のためのものかもしれない。
完全なる教育施設かもしれない。
しかしそこには、果てしない可能性と繋がりがある。
時制や地域、文化を超えた繋がりをもたらし続けるしその恩恵は大きい。
自分はとても強い影響というか変化を美術館、博物館を訪れることを通じて体験して来た。
感謝しているし、何か出来るのではないかと思う。
高松空港は小さかった。
しかしながら良心的ではあったと思う。