Carpe Diem

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プロフェッショナル

 

 プロフェッショナル。彼らは特殊なのだろうか。実際に特殊能力と言われるようなものを早い段階から、もしくは先天的に持っている人はいる。そういう人たちが、能力を行かせる環境に巡り会った時社会や世間からはプロフェッショナルと言われるのかもしれない。もうひとつ、良くあるパターンと言ったら語弊があるが、後天的と言うか自分の努力や訓練である一定以上のレベルに達した人たちのこともプロフェッショナルと呼ぶ傾向があるのかもしれない。その人たちは良く、諦めずにやり続けた、才能がない分努力でカバーしたと言う。もしくはずっと一つのことをやり続けていたらいつの間にかこの域まで達していたと。

 面白いと言ったら失礼かもしれない。能力を持っている人は早い段階からそれを自分で見いだしたり周りが見いだすことが多い。そして最高の環境が与えられやすくなるだろうし、何より自分の夢や明確な目標がその世界の一流になっていくことが多い。早い段階から自分の行く道がわかるのである。卒業文集にとても早い段階で目標を書いているのもその例かもしれない。結果論というよりは目標を持ってそこにどんどん意識的に迫っていった人だけがたどり着ける世界で、ほんの一握りしかつかめないものがそこにはある。適当にやっていても不十分だしそこには運が大きな要素として関わってくるのだろう。

 もう一方の大器晩成型のプロフェッショナル。その人たちは、与えられた環境にうまくフィットしたという感覚があるのではないか。たまたまそれをしている、し続けている人が限られていたり誰もがすぐにやめてしまうものを個人的に気に入って続けていたらいつの間にか誰も入り込めない領域に到達していたり。人間国宝と呼ばれたりする人もその種類ではないか。文化的に保護されたりするものの特徴はオリジナルであることのような気がする。

 なので、前者のプロフェッショナルは競争が元々多い。熾烈で過激。たどり着きたい人が多くいる分、その夢に敵わなかった人の数は半端ではない。そこを見落としてはならない。そして、そこに挑んでいる人の情熱は半端ではない。

 もう一方のプロフェッショナルが中途半端な取り組みをしているといいたい訳ではない。彼らだって唯一無二の存在だ。しかしながら、気迫や熱意が最初にはこない気がする。奈良の大仏東大寺をつくろうとみんながこぞって争った訳ではないし、一つだけだからこそ価値があるものもある。