Carpe Diem

Think good thought.

季節、四季

 

 春夏秋冬。季節は巡り行く。あなたが待っていようがいまいがそんなことは関係ない。自然には自然のペースがあって誰にいわれる訳でもなく同じような順番で同じ頃にやってくる。もしかしたら時に季節の順番を変えてみたかったり、変えてみようと誰かや何かが努力しているのかもしれないけど、どうやらそれは今のところ許されていないらしい。それはそれで面白いのだけど。

 季節がちょうど四つに分かれている。それぞれの長さは均等ではないが、四つに区切られているのはなぜか心地よい。やっぱり当たり前だけど、始まりの春の後には夏が来て、涼しくて寂しくなってくる秋、早く超えていけばいいなあと思う冬が来る。これが逆だとしたらどうなるのかはよくわからない。あり得なくはないのだが。とても寒い冬が来てやっとあつさが収まる快適な秋がくる。それから待ちに待ったあたたかい夏が訪れ、悲しい春がくる。ちょっと修飾語や感覚が不思議な気がするけど、順番が変わっただけで実際に大きく変わったものは何もない。実は秋が始まりの季節かもしれないし、アメリカ圏だってもちろん秋に学校は始まるものであるし。

 だから、結局は当たり前と思っていることも偶然というよりはその場所で与えられているものということ。その場所でしか通じないのかもしれない。日本で、関東で暮らしているからこそ四季の変化を十分に堪能できるのだろう。日本でも他の場所に行けば季節の流れは全く違うものになるだろう。四季も実際四等分である場所は世界にどれほど存在するのだろうか。そもそも四季に対して強い感覚を持っている人は世界の中でどれほどの割合だろうか。実際に季節は変わっていてもそれを特徴的だと思っていなかったり、気づいてはいても名付けたりしていない文化も多くあるのだと思う。

 日本に住んでいようが、例えば海外に行けば四季だけがすべてじゃないことがわかる。南半球に行けば季節の流れは逆だし。とても簡単なことで移動すればいいだけである。赤道直下、熱帯。世界にはいろんな場所があって常に夏の間だけで生きていくことも出来る。冬だけで生きていくことも同様に可能だ。来年の今、自分はどこにいるかわからない。これから四季がない場所で暮らしていくかもしれない。そしたら、今年の秋が人生で最後かもしれない。そう気づいた。季節も、その場所でたまたま与えられたもの。移動先での暮らしになれれば、今度は四季がないことが当たり前になるのかもしれない。