Carpe Diem

Think good thought.

トンネル

 

 久々に、長いトンネルを抜けた気がした。二つの区切りがある。一つ目は一年四ヶ月。もう一つは三ヶ月。生きていれば様々なことがある。様々なことがあるから生きていると言えるのかもしれないが。

 ある程度の時間が経てば、望もうが望むまいが変化は起きる。それは例えば、時間が解決してくれるという表現になると思う。それは確かだ。どちらかと言えば、時間が経っても変わらずに居続けることは相当難しいことでよほどのものを注がなければ実現しないものなのだろう。

 そしてもうひとつ。ナチュラルになってみることが大切だと経験から学んだ。自分がこの方法以外に解決策と言うか変化を見いだしてこなかったのかもしれない。当たり前だが、とても個人的なことで一般論を並べるだけでは人はどこへも進む事は出来ない。ナチュラルになること。不安を如何に少なくするかということは日常において最も大切なことなのだが、それに近い。ナチュラルというのは、ありのままに、心の声を聞くなんて表現をしたらうさんくさくなるかもしれないが、思ったときにしたいことをしたらいいということである。もしくはそんなことすら考えずに時間をやり過ごしたらいい。そして残った時間で意味付けや解釈でも加えておけば満足できるだろう。その程度のことだ。そんなことを言わなくてもわざわざ嫌いなことや意義を感じないことをする人は少ないかもしれないが、時に身を任せて自然に振る舞うことが重要なのだと思う。一番簡単なのはその状況をつくってしまうこと。時に身を任せるしかない状態。けどよく考えなくても、どんなときであれ人生はずっとそんな状態である気もする。そこをより意識的に肩の力を抜いて好きなことだけやってみる、もしくは何もしない程度が優しい表現になるのかもしれない。それが近道なのだ。

 そして、トンネルからでたと気づく時がいつか来る。今日は空の高さと近さ、広さからそれに気づいた。準備は自分でするものでもあるけどある時には勝手に整っていて差出されたりもするのである。とても面白い。

 トンネルからでる。長いトンネルだったかもしれないし思っていたより短かったかもしれない。そして次に気づくことはまた次のトンネルに入っているということだ。抜け出したと思ったのに。

 その継ぎ目というか少しの間でもトンネルがない状態に気づけるのは中々素敵な体験だ。とても短いものではあるのだが。次はいつここからでて、次のトンネルに出会うのだろうか。