Carpe Diem

Think good thought.

文章を書くこと

 

 文章を書くこと。ある時はそれをしないではいられない。それが楽しくてしょうがないからというときもあるし、辛かったり楽しいことがあってそれを書かないということはあり得ないと感じるときもある。二種類に分ける訳ではないが書くことにも種類がある。もちろんどちらも考えているのは自分だし書いているのも自分なのは確かだがわずかな違いがある。一つは一般的なことについて書くこと。社会情勢やニュース、世間で起きている出来事に対して自分が思ったことを書いていく。意見と言うか考察と言うか、それは時に居酒屋でのしょうもない雑談のようなものであり、新聞の批評よりも優れている場合もあるかもしれない。自分を出来るだけ客観視して何が事実なのか、それが自分だけでなく社会にどのような影響を与えるのかを考える。そして、書いている文章も自分のためというよりはそれが他人の目にさらされることを前提、あるいは起こりうる可能性として認識しときにそれを求めている。そこでは自分と他者を隔ているようでいて共感を求めていて自分だけのための文章にはなりえないし他人の目は避けられない。かといって完全に周りに迎合したり個を捨てきってしまうこともそこでは難しいしそれでは書いている意味もなくなってしまう。堂々としているがある時は少しひねくれたような社会とのコミュニケーションともとれる。

 もう一つは個人的な話について、個人的な体験や考えを書くこと。両方もちろん主観が入っているが少し違う。こちらは明らかに自分のために書いている場合が多いのではないか。ほとんどの場合、文章が他人に見られたいという承認欲求のようなものがあることは否めないが、そういうことにも関わらない場合もある。そこでは自分の目を通して自分の身体を通して学んだものや感じたことが言葉にされている。他者というよりは自分のための言葉だ。だからとても個人的なものになる。それ故に他者をひどく引きつける魅力を持つ場合もあれば完全に遠ざけてしまう毒になることもある。

 一つ目も二つ目もその文章を書くことはライフワークにも仕事にもなりうる。しかし、これは自分で体験したことだがどちらかだけでやっていくことは大変である。個人的なことを書き続ければあるとき空っぽになるような時が来るし、他人の目を気にしたものや一般論について語り続けてもそこに意義を感じられなくなってしまうことがある。

 もちろん、この二つだけが文章ではない。