Carpe Diem

Think good thought.

容易な選択はするな

 

 迷った時にいくつかの選択肢がある。自分がこれまでの経験で学んだこと。その中で特に重要だと思うこと。いくつかの軸があるが、その中でも外しては行けないことの一つ。自分では迷った時にいくつかの質問を投げかけるのだがこれはその一つ。迷った時に特に、不安になった時に、選択をしていると感じている時に容易な選択はしていけない。容易な選択をしていないかと自分にまず問いかける。誰でもわかるようなこと。多くの人がすること。妥協して考えても頭を使わずとも出てくるような選択肢。それは、世間一般と言われるようなものかもしれない。それらをバカにしたり卑下している訳ではない、一部ではそうしているかもしれないしそう解釈されうるとも思うが。誰もが思いつくようなこと、それがそのまま容易な選択と言えないかもしれないがそれは似ている。そしてその選択を、自分がしないこと。周りの人がしたっていい。周りの人に対して自分が影響を及ぼせるかなんて知らないし、どうでもいいことの一つかもしれない。少なくとも今はそのことに注力するべきではないし、どれだけおかしくなったとしても人に対して影響力を持てるなんて思わない。もしくはそう考えた方が人生は面白くなるのかもしれない。

 なんで容易な選択をしてしまうのか。考えることが面倒だったから。積極的に考えることを放棄した。巡りに巡ってその答えにたどり着いたとする。それが世間一般の人が想像しうる簡単なものと同じであったとする。しかしながら、何度も自分で考えつくした答えならそれは自分にとって容易な選択ではない。だから、一般的な価値観に共鳴したり、選択が同じになっているということが悪いとかいけないということではない。どんな考えをしたって、世界には何十億人の人がいるし、これまでに何人もの人が死んできた。だから自分の考えが常に唯一のものになる訳なんてないし、そう思っていてもそれは単に自分が周りのことを知らなかっただけ。同じような答えが悪だとしたら、それこそ思考停止に陥っていると言えるかもしれない。

 自分にとってスペシャルな選択をすればいいということなのか。そう表現してしまうと正しいような気もするが違う。自分で深く考えればいいよ、という種類の話でもない。けどやはり、パーソナルであるかという問いは重要だ。この上なく大切だ。プロセスが大切なのだろう。そして、容易に判断しないこと、つまりはと言うかにた言葉で考えることをやめないこと。もう少し安い言葉というかありふれた言葉で表すと周りに流されないとか表現した方が人に伝える分にはふさわしいのかもしれない。最初に浮かんだアイディア、最後に出た結論が誰にでもわかるような、頭を使わなくても出てくるようなもの、知っていてそれを使わない訳がないだろうというような当たり前のものだったらいけない。記憶おなかに順番があって、いつでも簡単にすぐに出てくるもの、これならこれというような答えではそれが本来のふさわしいものではない気がする。そのようなプロセスを容易な選択と位置づけているのだろう。パンを焼いてさあどうしよう。イチゴジャムかマーマレードか。自分の好みはイチゴ。どうでもいい。そんなの考えていない。知っているだけのものをしたから上に持ってきて、あたかも自分の意見のようにぴたっと当てはめる。それで安い安心を得る。しかも、重要である(と感じている)事柄に対してでさえ容易に選択する人もいる。自分はそうしない。というか危機を感じる程に絶対しては行けないことの一つなのだ。

 これには複合的な要素がある。けど、経験的に言ってそうなのだ。自分はそうしない。みんなはそうしてもいいと思うが、という幼稚な表現は続けないが。

 容易な選択をしたら容易な選択で得られるようなものしかえられない。何の説明にもなっていないがその通りである。もっと自分の判断や責任に選択を持て、と他人に対して言い聞かせるような気分で自分に行っているのかもしれない。けど、進んで容易な選択をしたがる人も世の中に入るのだろう。単純に、それと同じになるのが怖いだけかもしれないとも思ったがそうでもない。そうする理由がないししようとも思わない。他人のそう思える行動も自分で勝手にそう判断しているだけで、本人にとっては相当パーソナルなものであるかもしれない。そういう当たり前のことは意識する。敬意を払うとまでは行かずとも。

 なぜ、そんな簡単な、単純な結論、行動、反応になるのか?それでも悩んだのか、考えたのか?と本気で人に聞きたくなった経験が少なくともあると思う。興味本位でも、心配でも、バカにしてでも。そのような問いを強く自分に投げかけるような感覚で、容易な答え、選択になった場合は少し自分を疑う。これで本当にいいのか?しっかり考えたのか?You’ll get what you pay for.他人と同じ本を読んでいたら同じようなことしか考えない。誰も責任を取らない判断をあなたもして、あなたがそれに責任を取るとは思えない。そもそも、皆自分なりの考えや生き方があれば、答えはすべて違うはずだと思っている。