大宮盆栽美術館
1930年から盆栽は芸術として認められるようになった。
最初はやはり上流階級のもの。
江戸時代から庶民も知識を得たり趣味程度に楽しむようにもなった。
始まりは700年代の中国か。
関東大震災により千駄木の団子坂付近から盆栽園の一部が大宮に移る。
NHKのニュースでも流れていたように、たくさんの人が訪れていた。
盆栽美術館は、規模は然程大きくないが面白かった。
美術館や博物館と言ったらやはり、保存というイメージが強い。
死んだもの、遺跡、作品。
いろんなものがあるのはわかっているが、共通点として静的なもの、というイメージが頭から離れない。
そんな中で、生きたものを飾って鑑賞するというのは面白い。
動物館や水族館、植物園に近いのかもしれない。
魅力や伝統、歴史を紹介する文章や史料が数多くあり参考になった。
ほとんどお年寄りが訪問者。
若者はいないに等しかったし、若いと言っても30代という感じ。
写真を撮ることができるスペースが限られていたのが非常に勿体無い。
外に出てみると展示会と即日販売があった。
もの凄く安くて小さいものから、一畳程で50万円のものもあった。
著名人と一般人の作品が数多く通りに並んでいた。
ゴールデンウィークの三日間開催。
本当に人出が多かった。
期間中無料で入れる場所が数多く目が少しは肥えた。
基本的には、一目で驚かされるものは高い値段がついていた気がする。
生きているもの。
そして盆栽は小さい。
きなんてほっとけば相当大きくなる。
松やケヤキなんて特にそう思った。
それを小さい器に入れて形や色合いを毎日整えて育てていく。
永遠に終わりはない。
これはもの凄いことだと思った。
絵などを見れば想像は広がっていく。
しかし盆栽は元々多きkなる可能性のあるものを制御し、管理し、ぎゅっとその魅力をわずかな空間に押さえ込んでしまう。
もの凄い美的な感覚だと思った。
生き続けている。
買ったとしても、絵などとは異なりそれが始まり。
自分で手入れをしなければならない。
生きているものをあくまでも相手にするのだ。
盆栽は魅力がある。
一日で千点は見たと思う。
種類も豊富で植物の勉強にもなる。
外国人が多いとかねて聞いていて期待していたのだが一組しか見られなかった。
非常に日本らしい場所だと思うのでぜひお勧めしたい。
埼玉県にこのような魅力があるとは知らなかった。