Carpe Diem

Think good thought.

ガタカ的発想

 

 昨日見た映画から多くのものを得た。旅行をして自分の国のいろんな場所に訪れる。地方都市や大都会。田舎と都市では人口や街の大きさ以外にも大きな違いがある。それは人の温かさかもしれないし厳しい天候かもしれない。それぞれの場所が違うから学ぶこともあるし面白いとも思える。世界に出るとその差が大きくなるようにも感じる。明らかに違いが大きくなることもあるし、結局国は関係なくて場所が違うと人も変わってくるのかと納得することも。言語が違うことは大きな違いだ。相手のことがうまく理解できないと感じて身構えてしまう人もいる。そんなことも気にせずにひたすら自分の国の言語で話しかける人もいるから面白い。そういう人たちに限って言葉になんかとらわれずにコミュニケーションをとって旅を楽しくしていたりする。

 いろんな国を横に移動していくイメージ。先進国から後進国まで、いろんな人がいろんな名付け方をしてそれらを分類していく。その中で面白い発見があるはずだ。進んでいたり遅れていたり。発達の段階が違ったりスピード感がわかることも。

 自分で場所を移動しなくても自分の考えは変わるし様々な考えに出会うことができる。その方法で最も主流なのが読書ではないだろうか。自分は移動しなくても本を買うことでいつの時代の人にも会うことができる。そして今回からは幾つかの作品から考えがまとまってきた。書籍と映画。これまでに見てきたニュースも大きく影響しているが。近くないけどそう遠くない未来について書いた話は面白い。SFでも経済のことでも、ある程度先のことを見通すことができる人は実際にいるらしい。特殊能力にも思えるが、様々な情報を人より早く集めて多角的に考察すればある程度論理的に正確な仮説はたてられるしそれは実際大してそう難しいことではないのかもしれない。それを試みるだけの価値を見つけられなかったりただ単にめんどうだから挑戦する人が少ないということもあるだろう。その人の文章が的を獲過ぎていて驚くこともある。本当に、未来に移動して書いたんじゃないかと思うような文章だってあるしその人の考えが進みすぎていて現実がまだ追いついていないなと感じるものもある。そういうものを見るのは面白い。過去、現在、未来を知る方法は現在の中で世界を横に移動していくだけじゃない。現在にあるものを使って先にも未来にも移動を伴わずに移動することができる。

 将来はどうなっているだろうか。差別はなくなっているか、経済はどうだろう。政治なんてものがまだ存在しているかわからないし家族という概念は遠い昔に消失しているかもしれない。過去の歴史に関する物語を読むのは相当面白いのだが、未来を予測して書いた文章を読むのはそれとおきくことなった面白さがある。ほとんどが驚きで溢れている。過去のものを知って驚くときと、まだ存在しないこれからのものを夢見たり考えたりするときは脳の活動している場所が違うのではないかなんて思ってしまう。未来、将来のことを予測すのはとても刺激的だしどう考えても現実を描写したり、現実の域にとどまっているだけではそれをなし得ることはできない。現実をしっかり捉えると同時に過去のことをこれでもかというほど掘り返した時に将来のことが見えるのかもしれない。テクノロジーの変化は昔より早くなってきたと言われている。毎日それを感じるし、将来は今予想できない場所に到達しているのだろうと考えると心が弾むし予測することの意味も効果も薄れていくというか、できなくなるのではないかもと思う。

 これまでであったとても印象的な作品。Gattacaもその一つに入った。どんな作品に似ていたかというと1984やFahrenheit 451など。未来を扱った作品。1984に映像作品が存在するのかはわからないが残りの二つについては映像を見た。その世界観というのがとっても見ていた。建物の無機質さ。近未来を思わせる内装。未来を予測しているというのがしっかり伝わってくる感じ。それは物語自体の中にしっかり存在しているし画面に映る全ての小物にも細かい配慮があることからもわかる。1984は一度だけ本で読んだきり。映像も見たことがないのだが自分の頭の中では文章を映像化することができた。そのような作品は滅多にないのだけど、文章に力があったのか自分の感受性がとても豊かだったのかみずみずしく力強いイメージが頭の中に浮かんでいた。とっても引き込まれていたのを覚えている。ある時は眠れないほど強くなったし美しい場面ではその暖かさが伝わってきたし涙も自然と流れ落ちるほどだった。今まで読んだ物語の中で最も印象的な本だ。もちろん、無知は力なり、ビックブラザーといったものもすごいのだが、二人が愛し合っているシーンがとても印象的だった。どんな時にも人間にとって最も美しいものは変わらないと思ったものだ。

 そこで思った。これらの作品には幾つかの共通点があるということを。まず一つ目は人間について。将来世界は管理されるようになるといった話がこれらに限らず多い。ある一定の、時に一種類だけの権力が地域や世界を支配していることになる。もしくは複数の権力が対峙している。そしてその下にはいわゆる市民と呼ばれるような人々が存在している。彼らはまだ、昔の習慣や考えをひきずっているように描写されている。それが故に時代に適合しているとは言い難い。ある時は反逆者とみなされる。夢を見続ける、組織や権力に反対する、無謀なことをしている。そして彼らは殺されたり少ない確率で何かしらの成功を収めていく。しかし絶対的に不利で少数派で、主人公になるのはいつもかれらだ。完成された社会がそこにはある。けどどこかに隙があったり、実際は完璧ではない。努力や夢を持ってそれらに打ち勝つ人が描かれる。そしていつも人間の愛がテーマとなる。好きな人と一緒になる。夢を達成する。完璧と思われていたものは崩れ去る。そこに可能性を見出す。

 もう一つは類似性、そしてトレードオフ。その管理された社会というものは極めて高い確率で類似性、均衡を求めている。誰もが同じではならない。違う人間も同じルールのもとで裁かれる。誰かが振り分ける側で、振り分けられる側とは完全に分離している。その壁は前提として絶対に超えることはできない。そして、それは最初からできているものであって誰にも変更することはできないし、何よりも許されていない。権力が最も嫌うのは、それを破壊しようとするもの、何かしらの変化をそこにもたらそうとする人々だ。けどいつの時代もどこの社会にも反逆者や異分子は現れる。それは前提で社会は作られているし警察やスパイのような人もしっかりいるのだが防ぐことはできない。結局は人間らしさやうまく説明できないいわゆる愛というものが出てくる。

 管理、徹底、統一社会だからこそなおさら違いが生きてくるのではないか。その中でより、愛や人間らしさは輝くのだろう。人との違い。今生きている世界ではそれが評価されていないのだろうか。何かを変えようとすることは望ましいのかもしれない、いや、違うかも。生まれた時から立場は決まっているだろうか、そんなことはないようにも思える。けど今の時代もトレードオフというか自分お特徴や立場、能力や環境をうまく飲み込んでそれに対応できた人がうまくいっているような気もする。将来の差別は全て科学に基づいているかもしれない。先のことを考えた人の物語は面白い。