Carpe Diem

Think good thought.

広さと視点

 

 広さや多様性についてはたくさんの意見がある。20歳頃に一つ目標を掲げて生きていた。もっと広くなる。そんなことを言っていたと思う。たくさんのことを知っていろんな世界を見ること。これは達成された。いろんな世界をこれまでに見てきたと思う。

 誰かの公演で選択肢が多ければ多いほど人は幸せになるように見えるがそうではないというものがあった。細かい内容は覚えていない。選択肢が増えると豊かになった気はする。しかしながら選択をしなければならない。そのプロセス自体が手間がかかるものであり時間も消費してしまう。そして選択肢の中には知らなければよかったと思うようなものも含まれていたりする。だから多ければ多い程良い訳ではないしある基準を境にそれは苦悩や不幸に近づいていくのかもしれない。そんなことを言っていた。とっても気持ちいい顔でその人は公演していたと思う。けど、それは確かなのだけどそんな捉え方は自分には合わない。

 徹底的に、可能な限り考えや見える世界は増やしたほうがいいと思う。広さを持つこと。自分が知っていることは限られている。選択肢も増やすことが可能であるならそれだけ悩んだりしても良い。その方が何倍も幸せだ。ないよりはあったほうが良い。区切って考える必要がある。

 ファーガソンで昔誰かが死んだ。それは今後も語り継がれることになるのだろうか。警察と一般人の関係は。人間はどんなことを常に考えて生きているのだろうか。環境によってそれは大きく異なる。世界には、毎日生き続けるおとだけに集中している人もいる。水を汲んで食料を探す。病気にならないように予防するという知識も概念も持っていなくて、病気になったこともわからずに病院というものの存在を知らないまま死んでいく人もいる。マンションのトレーニングルームを使って嫌々ながらも毎日健康維持のためにトレーナーをつけて目的達成のために汗を流す人も。知らないと知っていることでどれだけ変わるかということを知る必要がある。知るだけでは世界は何も変わらないという人もいるがそんなことはない。警察がなぜそこに存在するのか。ある国の警察の仕事は秩序を守ること。毎日地域の見回りをする。地元の人と話をして何か変わったことはないかと聞く。最初から疑いの目を向けることなんてありえない。ただの世間話でいつの間にか1日が終わっていることもある。それで十分秩序を守ることができるのだ。住民から緊急の呼び出しがあるときは相当重大な問題が起こったときに限られている。このような場合警察は、何か起こったときのためにいるもので犯罪を防いでもらうこと、地域を見守り緊張感を持たせることが最大の目的ではない。また、ある国の警察は汚職と賄賂ばかり。警察という地位を悪用してお金を稼いだり暴力を働いたりしている。その与えられた権利は自分の保身のために使われている。地域のために自分を犠牲にすることなんて決してありえない。犯罪はなかった方がいいと思う人よりあることで助かることも多い。自分のやっていることもそれほど悪く思われないだろうし儲けも増えたりする。警察とギャングが繋がっていたりしてどっちがどっちかは関係なく中身は同じで名前が違うだけということになっていることも少なくはない。そして、あの大きな国では警察がたくさんの人を殺している。少し信じられないことだが。警察は銃を持っているけどなんのために持っているのだろうか。自衛のため。威嚇射撃のため。権力を示すため。間違っても人を殺すためという人はいないと思うが。警察と市民の関係はどのようなものなのだろう。ちょっと想像がつかない。少し怪しいからといって車から出ろと言われる。警察に声をかけられて協力しようと思う人もいるかもしれないがきっとその国で警察に声をかけられたらそれは最悪なことの一種だろう。助け合うことなんてないし一般人のことを犯罪者のように警察は捉えているのかもしれない。車から出て、武器をチェックされる。日頃から武器を身につけている人が多数派の国はどれくらいあるのだろう。それで、怪しいという理由だけで撃つ。武器を確認しようとして手を上げさせた。ポケットの近くに手を動かした。怪しい行動をしたから。理由は何にでもなるし後から付け加えることもできる。警察としても自分の命を守るだけだったと言えばいいのかもしれない。自分で協力を求めて、相手が協力しようとして体を動かしたらそれが怪しいといって攻撃する。意味がわからないように思えるがそれが正しいとされる。彼は自分のするべきことをしたと言っているし起訴はされない。なぜだろうか。想像しづらいけど、そのような国もこの世界には存在する。普段から相手は武器を持っているかもしれないと疑って警察に話しかけられただけで(話しかけたのは警察であるにもかかわらず)相手は緊張していて攻撃してくるかもしれないと考える。命がかかっているのかもしれないがものすごい想像力だ。そして、判断の仕方や想定が自分の国のそれとは違いすぎてあまり理解できない。とにかく人は死んだ。警察は何をしたかったのかはわからないが。これでまた一つの犯罪が防がれたのかもしれない。丸腰の人を撃ち殺すことで。変な話だ。大量の武器があるからといって爆弾を落としてみたものの見つかりませんでしたと言っているようなものだけど、前提から間違っているような気がする。

 どんな環境にいるかで想像力も変わってくる。そんなに悪い方向だけに使わなくても良い。相手が何を考えているかを思うこと。悪いことだって怒るけど良いことも起こる。問題を解決するために考え続けることだってできる。多くを知ることはその救いになる。多くを知りすぎて選択肢に悩まされてしまうのは確かに本末転倒だ。多くを知るのはもっと自分の興味があるものに近づくための作業だ。多くを知って知らないものをどんどん切っていく。好きなものに、うまくいく道にたどり着くまでにかなりの時間はかかるかもしれないけどそれがむしろ最善の道だと思う。わざわざ迷うために旅にはいかないでしょう。そういう人も中に入るのだが。そして広げていく方向も基本的には自分の好きな方で良いと思う。そこを深掘りしていく。そのために時々他の道を通ったりしてみれば効果的だろう。それもやってみないとわからないことが多いのだが。目的をしっかり考えて可能な方向で自分お知っている世界を広げていくこと。最悪の想定と同時に最高の想定をいだけること。どちらかに偏っていてもいいことはないしそれは信仰のようなものだ。理論なんか存在しないだろうし思考も放棄されている。自分で考えられる範囲は自分でしっかり考えるべきだ。役立つことでもくだらないことでもなんでも頭に詰め込めと言い合いわけではないしそんな時間はない。目的を持ってそれに近づいていると考えたら別に選択をすることで不幸になるわけがない。そうなりたい人もいるのかもしれないが。いろんな考え方を知ること。自分の視点をもっと広げて違う角度から世界を見てみること。その上で自分の見ている世界というものをよく知る。それもこれも自分のため。自分のためにしていたことが結局人のためになったりするから、何事に関しても人目を気にしすぎたり人のためだけに生きていたらどこにも辿り着けない。というこの文章もたった一つの考え。広く、広く考えて見てみること。