Carpe Diem

Think good thought.

空っぽにする、なること

 

 それぞれ人は様々な特徴を持っている。本質というものがあるのかもしれないが、あらゆるものは変化していくのが常だろう。考え方も感じ方も他人にはわからないし自分でも気づかないかもしれないが確実に変わっていく。生きていれば、時間が過ぎる。自分が望もうが望むまいが様々な経験をしていく。他人から強要されたもの、自分で勝ち取ったもの、選択の余地がないときに起こった出来事。変化は積み重ねの中で起きていく。

 その中で、種々のものは重なり続ける。能力かもしれない。才能が磨かれていくという言い方をするのかもしれない。また、捨てられていくものもある。面倒くさがりだったがきびきびとした生活を送ることが習慣になっていたりと違うものを獲得する際に古いものが捨てられていく。継続、断絶、それらすべてが重なることによって自分がつくられている。

 性格、能力、生き方、考え方。自分で認識しているものと他人から評価されたり名付けられるもの。いろんなものがあるが、ある種の傾向がそこには現れてくる。一つだけに強く特徴が現れてくる人がいれば総合的な能力を持つ人もいる。総合的に能力を持っている人でも、総合的にそれが優れていて評価される人は優秀であるように扱われるが、すべての能力が低かったら良い認識はされにくいだろう。

 一点集中と総合型。プロフェッショナルと呼ばれる人は基本的に一つの能力がきわめて優れている人のこと。その一点に人生を懸けている人もいれば、それしか自分には選択できないという人もいる。総合的な能力を持つ人はうまくリスクを分散していると言えるかもしれない。一点の優れた能力がないから他で補っていくと言う考えが一般的だろうか。その総合的な能力を持つ人ももちろん少しは能力差、得意不得意が自分の中にあるだろう。

 もし、その一点や自分が優れていると認識している能力を失ったらどうなるだろうか。例えばプロゴルファーが怪我をしてその後一切プレーが出来ないようになってしまったら。会社員が技術革新など何らかの理由で自分の仕事を失ってしまったら。

 得意なもの、優れたもの、そこに蓄積されてきた経験が活きる道を失ってしまったらどうなるのだろうか。空っぽになってしまったように。そして、得意でなくてもある種の能力が自分からある日突然奪われるとしたらどうなるのか。

そして、出来るとして、自ら進んで何かを空っぽにしたらどうなるのか。