Carpe Diem

Think good thought.

見え方が変わるとは

 

 見え方が変わるとはどういうことだろうか。それは些細でありながら、はっとするようなもので、それを見つけた後柔らかい雪が地面の上に優しく降り積もるような安らぎをもたらしてくれる様なものだろう。それを知らなくても生きていて困らなかっただろうけどあると有難いもの。誰にでもあるようでなくて、ひどく個人的なもの。

 とても寒い日に訪れた家の主人が出してくれる温かいスープをゆっくり飲んだときのような気持ち。愛する人を失って毎年寒く感じた冬もなんだか暖かくなるような変化。そんな些細な変化に巡り会うことは誰でも出来る。本人が望まなくても、時がそれを運んできてくれるのだろう。あるいは、それを必要としている人にしかそれは訪れないのかもしれない。わかる人にはわかる。わからない人は、ここで表されているような言葉や感覚と違った表現や機会で、その人に訪れているのではないか。つまり、非常に個人的で優しくてあたたかいものなのだ、その性質として。

 一年という区切りがある。12ヶ月。そして一年の終わりの方にクリスマスがある。そして毎年、街はクリスマスソングで溢れる。あなたは去年、それを誰と聞いただろうか。自分で意図して聞いたかもしれないし、嫌々ながらも街に流れているそれらの曲を無視できなかったのかもしれない。クリスマスは、望むが望むまいが一年の終わりにやってくるし、それと同じようにクリスマスソングも運ばれてくる。今年はどこで誰と聞くのだろうか。愛する人と幸せな気持ちで聞くかもしれない。夏のように晴れ渡った透き通った青空のもと子どもたちと聞くかもしれない。雪が積もっているかも。家族が集まって様々な装飾が施され暖炉で暖まった家の中で楽しく明るく皆で曲を合唱しているかもしれない。もしくは、一人きりで絶望の中、たまたま耳に入ってきた曲が、たまたまクリスマスゾングであっただけかもしれない。

 So this is Christmas. And what have you done? 毎年あなたはそう問われる。それが、このつまらない一年、あなたは何をしていたのか(同じような一年だったか)?と問われているように聞こえるか、今年一年、どんなに素敵なことがあったろうかという風に聞こえるか。それが見方の違いなのだ。それはとても重要だが些細なことで、I once had a girl, or should I say, she once had me. のような違いなのだ。今年のクリスマスは、あなたはどのような返事をすることが出来るだろうか、いや、どのように聞こえるだろうか。