Dear John
Dear John - Official Movie Trailer [High Quality ...
アメリカで評判になったという映画。
それはアメリカだからではないか。
個人的にはあまり受け入れられないし多くのことを学んだ映画だった。
何か文章を書くにあたってコンテクストを選択したり引き受けるなら、それにまつわるあらゆる喜びや悲しみ、困難や問題も背負っていく必要があるということを強く感じた。
意図があるにしろないにしろ、その物語に関わるにはそれなりの責任がいる。
それが重すぎることもあるし、そこにだけ頼っている物語などは決して書かないほうが良い。
少なくとも自分は決して書かない。
責任があるということをここまで強く感じたのは初めてだ。
9.11の事がこのように物語に反映されている作品は初めて見た。
感想としては空っぽ。
特に内容はないが環境や状況ばかりが全てを引っ張って行っている感じ。
物語は語られるどころか作者の手を離れて何処かに行ってしまっている気がする。
自分が望む物語というものが強く読者や視聴者には存在しているのだろう。
扱う問題がセンシティブで個人的なものであればあるほど大衆へのアプローチは難しいのではないだろうか。
見ているだけで、読んでいるだけで多くの人が傷つくことなんてないしそれは受け取る側の勝手ではないかと思っていたがそんなことはなさそうだ。
ある場合は怒りを感じたり希望を失うこともあるし、何よりその時に感じた不快感は簡単に消えない。
人を決して侮辱してはいけないしそうと取られるようなものは提供されるべきものではないと学んだ。
自閉症、軍隊、戦争そんなものと一緒に気軽に描かれてはいけないものももちろんあると思う。
テーマの重要性。
これほどいただけないと思ったことはない。
アマンダはよく歌を歌っているイメージ。
コンテクストに全面的に依存する作品は作者の価値というものを曖昧にする。
そこに語られているのは作者のものではなくてただそこにあったものや大衆の幻想に過ぎない。
それは読者が紡ぎだしていくものだ。