Carpe Diem

Think good thought.

逆張り

 

 逆張り。このことあの細かい意味は知らなかった。そして順張りという言葉があることさえ知らなかった。逆張りのイメージは普通と逆のことをすること、考える事など、実際それは言葉の意味の一部には当てはまると思う。逆張りという言葉に限定しなくても普通とは逆のことをする、多くの人と同じ方向に行かないというのは自分の中で大切な考えだ。ただ単に逸脱したいわけではないし、もちろん破滅願望があるわけではない。逆に考えた方が良いと今でも思うしそうなるに至った経験がこれまでにあったということだ。

 人の性格は一つではない。様々な要素が複雑に、ときにシンプルに組み合わさって一つの性格のイメージのようなものができる。もちろん自分で認識できるし変えたり調節したりすることもできる。それと同じくらいに自分ではどうしようもないくらい人から一方的に判断されたりもする。そんな自分の性格の一つに逆に考えるというものがある。だいたい、自分が自分の性格や相手が自分に対して持っている印象について説明すると、それは相手の考えやイメージとは異なることが多い。そしてその後さというか隔たりはとても大きい。その逆かと思った、そんな嘘は言わなくていいと言われるほどに。なぜだろうか。自分ではわざわざ性格を隠したりしようとは思っていない。言葉がぴったりふさわしいかは別にして本当のことを常に述べようとしているし心の底からそう望んでいる。そんなに真剣に話すことではないかもしれないが。自分の性格を知っている数少ない人とはなしていて確信を持ったことが一つ。その相手に対して自分がそう刷り込んでいたのかもしれないが。逆で考える。これは自分を構成する要素の大きな部分であると思う。その人もこのことをパッと挙げてくれた。逆のことを考えてみる。

 逆のことを考えるという表現だけでは正確ではないかもしれない。確かにそういう傾向は強い。子供の頃からそうだった。なんでも疑うとか自分の頭でしっかり考えているとかではなくて、反射的に逆はどうなんだろうと考えてしまう。無意識的に。いちいち面倒なほど全てを逆に考えているわけではない。けど、すんなり自分の中に物事を吸収していくというわけではない。それはそれで疲れるし簡単じゃないと思う。やはり自分の思うようにしたほうがいいしそうじゃないと生きられない。

 諦めない、他の方法を探すということを考えているというか考えてしまう。これに関してはいろんな要素が含まれていて言葉にするものも容易ではない。その方法の一つとして逆を考えるということが存在するのではないかと思う。基本的に逆や他の可能性を思い浮かべてみるということ。問題がなかったり簡単な場合はそんなことはしないし最短距離で目標や解決に向かう。それはそれで当たり前なこととして。深刻な問題や複雑な問題に対面した時はよく他の可能性について考え始める。なぜだろうか。それは諦めることがよくわかっていないからだと思う。簡単に言ってしまうと、そして他からの言葉をわかりやすく当てはめるとすると楽天的、ポジティブというものになるかもしれない。ちょっと無理そうに見えても他の方法を考えてみよう、もしくは他のことを考えてしまおう。そのような態度がある。格好つけて諦めるのが嫌だ、もしくは自暴自棄になってその対象から逃れているわけではない。そしてそもそもポジティブですらないと思う。それは他者が決めることだ。自分が思うに諦めたりすることに慣れていない。なんでもできると思ってしまう。そしてそれが本当に不可能だとしたらそれにこだわる必要はないと考える。そもそもそんなことをしなくて良いしそれに近いものをどうやって達成するかを考えれば良いと思う。飼い主がいなくなった犬がそれを理解せずにいつまでも待ち続けているように、振られた相手にまだチャンスがあると思ってずっと楽しそうに待っている人のように。それは少し異なるが。要するに方法はいくらでもあるのだ。なのに一面に頼りすぎていることが多い。

 人と話をしているときにはその傾向が強くなる。自分の選択だけではなくて。人からある相談をされたら自分がすることは否定も肯定もせず他の選択肢を上げることが多い。もちろんその上で自分の意見を言うがあくまでも相手の考え自体に肯定や否定はしないで自分の意見を言う。悩んでいて、こうしたいと思うと言われたらその真逆はどうなのかと聞いてみる。なんでそもそもそのやり方だけにこだわっているのか、その問題だけにこだわっているのか。本質や問題視するべきことから逃れようというわけではないしそうなれば本末転倒だ。可能な限り楽な道を探すこと。まだ見えていない道を共に探すこと。そうすることが大切だと思う。凝り固まっていないで柔軟に。逆のこと、反対からいろんな視点で物事を見てみる。そもそも問題を深刻にとらえないこと。どうにだってなるのだから、その道に立ってなる方法をしっかり考えてそこに直視することを避けないこと。その一つの方法としての逆。