長い間、文章を書いていなかった。
その間にいろんなことが起こった。
自分が訪れたことがある場所でたくさんの事件や事故があった。
これからも自分に関わっていくものや人は増えていくのだろうか。
ここ数ヶ月、あまり前を向くことができなかった。
自分が向いている方が前というのは確かに正しいのだが、その言い方だと先を見ることができなかったということになるかもしれない。
過去ばかり見ていた、少なくとも現状から先のことはあまり考えられなかった。
文章も長い間書かないでいると自然に言葉が出てこなくなる。
いろんな迷いがこの期間多かった。
それをあまり吐き出さずにいた。
それはしっかりできたと思う。
その分思いっきり傷ついた部分もあった。
全く楽ではなかったしむしろ失ったものが多かったんじゃないかと思う。
素直になっていなかったので、つまらないことに対してエネルギーを使ってしまった。
あまりにも多くのものを信じられなくなった。
物凄く怖かったし、怯え続けてきもおかしくなった。
今はやっと、そこから抜け出そうとしている感じ。
ここで身についた憂いを早く取ってしまいたい。
いつからか、自分が考えたようにしか生きられない、考えに縛られて生きていくのかもしれないが、そうならないようにしていきたい。
という考えも矛盾していないかはよくわからないが。
とにかくこれからまた変わっていくことが重要だ。
去年はつまらなかったというかひどかった気もするが、変化が少なかったのかもしれない。
ただその毎日に飽きただけかもしれない。
夢を持ったり色々想像したりチャレンジしたりする方がだらだら生きるよりはましなのかもしれない。
そのコストをしっかり計算したとしても。
けど、人出もものでも、何かを信じられない状態が続くのは苦しいことだと思う。
振り返ってみて、昔はなんであんなに情熱があったのか、とも思った。
他人に対しても横柄な発言が多かった。
よくあそこまでエネルギーを持てていたなあと思う。
今回の経験を通じて、一生変わらないこともできただろうしこれから変わることもあるだろう。
もっと柔軟でしっかり過去を見つつ、先に期待して今を過ごせるようにする必要がある。
その方が自分にも周りにもきっと良いのだと思う。
とか、いろんなことを考えて信じていくしかない、きっと。
自分で意味付けして生きていくしかないのだから、信じて生きていくしかないのだから、信じていくこと自体もそうだし何を信じるのかを(当たり前だけど、しっかり)自分で決めていく必要がある。
住んだことがある場所で事件や事故が起きた。
それに対して悲しみや共感、喜びを感じられるのはあなたがそこに住んでいたからで、誰もがそうなれるわけではない。
経験も、意味もそこにはしっかり存在している。
古着屋に並べられた服。
なん十万円もするものから何百円のものまで。
同じようにしか見えない人もいれば、毎日生活していくお金るエルチャンスとして見る人、自分の毎日を彩る素敵な服としての価値を見いだす人、いろんな人がいる。
誰もが、あなたのような視点で世界を見ることはできない。
自分で意味付けして毎日を生きていくのだ。
それは当たり前のことかもしれないが、それすらも自分でしていかなければならないことを今回知った気がする。
今までも自然とそうしてきていたのだが、あることきっかけにそれが崩れてしまった。
早い段階でそのような経験ができたことは良かったと思う。
初めて、何事も永遠に続いていくわけではないと感じたし、自分から主体的に動いていかなければどうしようもないと感じた。
将来自分を救ってくれるものはなんだろうと考えるのは非常に良いことかもしれない。
少なくとも自分にとっては。
冷静に考えるとそういうもの以外のためにお金や時間を費やすというのはおかしいのかもしれない。
所有に対してもひどくこだわりがなくなった。
もっともっと、一人でいろんなことをやりたいそしてやりたくないと思った。
この五年間や半年でどんなことがあっただろうか。
好き勝手、たっぷりのんびり自由にできたと思う。
それが最も良かったことだ。
これからもそうでありたい。
いろんなきっかけがあったけど、自分が何が好きで嫌いで、どうしていきたいというのがしっかりわかった。
それを助けてくれる人と、時間と、機会が身近にあふれていた。
そのことに感謝。
いろんな場所に訪れたし、多くはないかもしれないけど、大切だと感じ感じられる人にしっかり出会った。
時間があふれていたからしっかり人を愛することもできたし、失ったし、また出会いがあったりした。
いい時だけが全てじゃない。
2年間付き合って別れる時の言葉。
二年間が良かったわけだから、今後二年間ぐらい毎日悪かったって一緒にいてもいいと思う。
確かにそうだし、そう考えられない方が勿体無いしおかしい。
むしろそこからが、やっと折り返したくらいというのが正しいのではないだろうか。
やなことはもちろんしなくていいしするべきではない。
お金が最も大切な人、名誉が最も大切な人、時間が足りない人。
自分がどこで誰と、何を欲しがっているのかがよくわかってきたのでこれからもっと心地よいい生き方ができると思う。
信じる気持ちが足りないけど、また回復してきたしこれからは過剰になって人に迷惑をかけるくらいになるだろう。
バカみたいに一人で悩み続ける人。
友人や家族に愚痴をさんざん聞いてもらう人。
お酒でなんとなく解消できる優れた才能を持つ人。
いろんな人が世の中いるわけで。
好きなことを好きな時に言える素敵な世の中なわけで。
これからもっと弱さをしっかり出したり向き合ったり、また書いていく必要があると思って今また書き出したわけで。
二ヶ月後がまた楽しみだ。
こんなに動けなくなる時期が自分に来るとは思っていなかった。
そして、そこから抜け出すきっかけも不思議なものだ。
素敵な音楽を聴きながら、リーガを三試合見続けたからかもしれない。
バルセロナが負けていたらまた落ち込んでいたかもしれない。
そんなどうでも良いような個人的なことが最も大切だったりする。
なぜなら、そこに意味を見出せるのはあなたしかいないし、その意味は他の誰のものとも違うものだから。
くだらないなあと思えることも増えたしそれは大きな進歩だと思う。
もっと、自分と大切にしているものに集中していきたい。
必要になったら5年後くらいに声をかけてくだされば、何かの役に立てるかもしれなません。
初めてその国を訪れた時の空気、匂い、風。
それを感じて鳥肌が立って少し気持ち悪くなるような感覚。
それこそが去年かけていたもので。
ずっとここで同じような生活をしたら骨の髄までダメになってしまいそうで苦しい。
これからが楽しみだ。
今はあまり大きな絵を描けない。
けど、また信じられないくらいエネルギーを持って活動する時期が来てしまうのだろう。
今が最低だとしても十分すぎるほどできていることがあるし幸せなわけで。
堂々巡りをしている人生で、楽しいこともすべて楽しいかもしれないしつまらないのかもしれない。
人生は程度の違いと言っていた。
確かにそうだ。
美味しいカレーと普通のカレー。
どっちもたべてよいとしたらどちらにするか。
美味しい方は素敵だけど、満足するだろうけど高い。
それを食べるために、例えば働いたりしてお金を得る必要はあるか。
皆あるわけではない。
そして稼ごうと決めた人も楽しくやったしする人もいれば、奴隷のようになる人もいるかもしれない。
稼いだ後、カレーとは違う料理を知ることになる人もいるだろう。
働きすぎて体を壊し、普通のカレーすら食べられなくなってしまう人もいる。
自分にとってカレーとはなんなのか。
それに対して自分がしたいことは、しなければならないことは。
人生は確かに、程度の違いなのかもしれない。
一つ確かなことは、それを自分で決められるということ。
他人には決められない。
自分がやりたいことは大抵、自分しかやる人がいない。
少なくとも他人がわざわざそれをしてくれる人はいない。
あなたがやりたいことこそ、あなたがやらなければ誰も行わないものになってしまう。
そんなことがよくわかったような長い期間だった。
気軽に生きていこう。