Carpe Diem

Think good thought.

自分に同情するな

 

 最初にこの言葉を聞いた時には特に何も思わなかった。ただ読み流しただけ。振り返ることもなかった。けどあるときから、自分にとって重要な意味を持つようになった。どんどんそれは深みを増していった。がつんと殴られて気づいたようなものではなくて、こぼれだした水が広がっていくようにスローに見えるような早いような不思議なスピードで身体にしみ込んできた。まだ深すぎるところには届いてはいないけど、消えることはなくて何度も心の中に表れてくる。自分に同情するな。

 きつい言葉だなあと思う。どういう意味かもよくわからなかった。今でも正確に理解しているかはわからない。けど、どう解釈するかなんて他人にとっては根本的にどうでも良いことだし、自分の中でしか価値がないものだろう。そして、その言葉が自分に対してどういう意味を持つかこそがすべてだ。たしかに同情するべきじゃないな、と軽く済ませることも出来る。

 なぜ同情すべきではないのか、そしてそう思うのか。とっても個人的な話になりそうだ。その言葉に惹かれたにはちゃんとした理由があるはずだ。

 人が、誰か他人に対して最も厳しい言葉を投げかける。それはけんかのときかもしれない。前から大嫌いだった奴に対して初めて文句を言う。汚い言葉を吐く、浴びせる、罵る。愛していた人との信頼が一瞬にして崩れて、泣きながら訴える。どうしようもない、他の言葉が何も見つからなかったのでどの言葉を口から出す。無意識の中で相手に対してつぶやく言葉。そういう状況で出た言葉、相手を最も傷つけよう、ダメージを与えようとした言葉とはつまり、自分がその状況で言われて最も深いに感じたりショックを受けたりする-つまりは傷つく-言葉であるというのを聞いたことがある。本当なのだろうか。あまり激昂や罵倒の経験がないのでわからない。絶望し、無気力になった時に相手に伝えた言葉はあるが、自分の場合はそれなのだろう。それは確かな逃げのない言葉であり深かった気もする。常に心の中で出てくるのを準備していた言葉なのだろう。

 つまり、自分は自分に同情しているのだろうか。していたのだろう。そして今も時々するのだろう。いや、しているししていた。だからこそこの言葉が徐々に身体にしみ込んできたはずだ。けど、この言葉を聞くまで自分に同情していたものの、その状態を自分に同情していると表すことは出来なかった。その言葉でそのように認識は出来ていなかった。だから、この言葉と出会って良かったのかもしれない。映画を見ていたり本を読んでいたりして、自分思っていることがそっくりそのまま書いてあると驚くことがある。ずっとわかっていたんだけどうまく言葉にできなくてうずうずしていたものがとても素敵な表現にまとめられていて息をのむこともある。期待していなかったにもかかわらず、目の前に表れる言葉。自分の頭の中を完全に見られてしまったような驚き。そのような言葉との出会いが必ずある。そのような種類の出会いの一つとして自分はこの言葉に出会ったのかもしれない。自分に同情していると言われる、そう今は自分で感じる状態にその時自分がいて、たまたま、もしくは時間をかけてその言葉に出会ったのだろうか。そして意味を解釈し、理解し、戒めのようになったのだろうか。

 自分に同情するな、と他人に言えるような人間ではない。そういえる人間は確実にそのような行動をしてないはずだ。言われて何にも感じない人はどうなのかわからない。だから、この言葉は常に自分から自分に向けて発信されるべき言葉なのではないかと個人的には思っている。自分の思いなんて常に個人的なものでしかないが。同情するな、もししていたとしてもさっさとそれをやめろ、という言葉が今では自分の中から出てくる。悲劇のヒーローという言葉もこれに似ている気がする。自分が、中心にいる。そして、自分に悲劇が襲いかかってくる。それは本当に個人的なもので、他人からしたらどうでもいいこと。一人芝居なら、誰も気にしないから迷惑をかけない範囲でなら一人でずっとやっていて構いませんよ、という話になる。自分に同情してなんになるというのか。救われるとしてもそれは自分だけだろう。自分に同情するとは面白い表現だと思う。まさに同じように情を持っている、感じている。そもそも感じているのは自分なのに、あたかも自分が二人いて遠くから見ているかのように。

 自分に同情していない、とも言い切れない。しかしながら、決して、もしくは強く、自分に同情しようとは思わない。同情とは多分、相手や他人に大して使われるべき言葉ではないか。だからつまり、文法的にふさわしくない、もっと魅力的な使い方がありますよ、という提案をしていただけの文章、言葉かもしれない。それを自分自身で勝手に拡大解釈した可能性もある。たしかに、自分じゃなくて誰かに対して同情すれば少なくとも自分だけよりは影響する範囲が広がるしよいかもしれない。迷惑でなければ。