Carpe Diem

Think good thought.

書くことの勉強

 

 今日もまた一人の作家のストーリーを聞いた。作家と言ってもいろんな文章を書くものだと思う。作家というより物書きかもしれない。

 自分で小説を書くとしたらどうなるか。そもそも自分が日頃書いている文章を分類したらどれほどの数に分けることが出来るだろうか。種類が多ければ立派とは言い難いかもしれないが多彩にこしたことはないかもしれない。いろんな種類の文章がある。小説。日記、随筆。フィクションにノンフィクション。誰かから依頼されたテーマに沿って各文章や自分だけに向けて書いているもの。批評や批判と呼ばれるものもあれば子ども向けの絵本がうまく書ける人もいる。小説に関してだが、自分で書くイメージがいつも抱けない。「」を使う文章は日常で書く機会が非常に限られていると思う。最近使った記憶がない。引用や強調ならまだしも会話を書き出すことは少ない。対談や意見をまとめるにしても「」は使用せず、それぞれの言葉のまとまりで終わってしまうだろう。文章に登場させる人物を何人か選ぶこと。そしてそれぞれ、誰がいつしゃべっているのか、バランスよく流れるように、無理な理解を伴わずに文章を読ませるにはどうしたらいいのかがわからない。毎回、誰かがこう言った。と次の分で書いていたら読みにくいしあやふやになってしまう。そんな文章は実際ほとんど出会っていないと思う。自分が書く量に比べて、摂取している情報は多い。毎日本を読んでいる。小説とそれ以外のものは一対一ぐらいの割合。そして小説にはほとんど会話文で構成されているものもあるのだから、かなりの量触れているということになる。しかしながら、そういう文章を読んでいるときはどのように文章が成り立っている書きにしたことはない。時々勉強しようと思って読んでいくものの最後には完全に忘れてしまっている。そのように意識させない文章が優れているのかもしれないが。

 小説なんかは特に、自分の思うままに描けるものである。登場人物も、場所も、設定も。本物である必要すらないのだ。事実は小説よりも奇なりという言葉もあるが、事実と小説の境は実際よくわからない。ないもの、空想の中から表れたものの方が時に、本物らしくて説得力がある。架空の都市だったと後から知って腰を抜かす程驚くことだってある。本当に文章とはある種の魔法である。そんなに自由が与えられているのに難しいと思ってしまう。本当に好きなように書けばいいだけなのに。頭を使うことは大事だと思うがそこにこだわってばかりいたらいっこうに進めないのかもしれない。自分の理想もあるだろうし、他の文章と比べてまだ良くできると思う気持ちがあるからにはそれは続いていくのだろう。まずは自分の限界を超えていかないと行けないのかもしれない。

 自分の吸収してきた物が自分を作り出す。自分の文章にも誰かしらの特徴が隠れているはず。それはあなたが最も良く読む作家の文章かもしれない。ビジネス書ばかり読んでいたら完結でわかりやすい表現になるということでもないが、読んでいるジャンルによっても変わるだろう。作者の文体や言葉遣い、細かい比喩の使い方、雰囲気等を知らず知らずのうちにコピーしているだろう。むしろ積極的にまねているかもしれない。誰とも同じになりたくなかったら、皆と同じような情報に触れていては行けない。自分だけのものを手に入れる必要がある。そして数をこなすこと。例えば小説家になりたかったらたっぷりと本を読むこと。そこから学べるものは多いし、そこを除いての学びには限界がある。書いていくことでもちろん訓練にはなるのだが、それと同じくらいかそれ以上に読んでいかないと行けない。誰とも違う言葉や文体で書いて、それでいてわかりやすいこと。あるいは難解で誰にも理解されにくいような文章を書く人もいるだろう。目標はその人次第だ。著者と読者の距離感をしっかりとつかまなければならない。

 ある小説家は行った。書いて残せること、そしてそれを消せることが強みであると。彼によると一冊の本に対して十冊程の原稿を書いているとのこと。参考文献に関しても本に記載しているのはごくわずかなもので実際は一冊の本に対して千冊は読んでいると。読むだけは簡単なことなのかもしれない。それだけの過程があることを普段気にすることはないだろう。何度も何度も書き直すこと。不安を感じながら粘り強く修正していくこと。何百行ある文章の中の立った一行に何時間も費やすことが出来るかどうか。最初に原稿を書く期間とそれを修正する期間がそれぞれの作家によって異なるのだろう。一対一かもしれないし一対五かも知れない。また、ある作家は二日か三日で書いてしまって大金を得ていた。本当に人それぞれだ。自分の書いた文章を一晩寝かしたり何千回も見直したり、正面から向き合う根気と言うか素直さが必要なのかもしれない。表面い表れているものは本のわずかかもしれないがその深さは計り知れない。