Carpe Diem

Think good thought.

段階

 

 物事には段階がある。しかるべきときがあり、それを通り過ぎることによってしか次の段階にたどり着くことは出来ない。その段階にさしかかっていることを自分で明確に気づくことが出来る場合もあればそうでないこともある。ある人にとってはそれは遠い過去を振り返ってみたときにやっと理解と納得ができるものとして現れてくるかもしれない。それは小説家の書く文章が一人称から三人称に変わっていくように。あるいは、猛暑の中突然に気温が下がる日が続いて秋や冬を急に思い出して胸が痛くなるように。そして、少年だと思っていた自分がいつかユーモアを交えて会話をすることを自然に身に付けているように。

 それらの段階は、必ず通り過ぎない訳ではない。しかしながら生きていて死んでいくまでにいくつかのステップは誰もが踏んでいく。そして重要なのは、その段階が、その段階が訪れる瞬間というのが人それぞれに大きく異なるということだ。当たり前のことなのだが、この当たり前のことも段階を追っていかないとわからない。

 そして、同じ段階にいる人との関係を、人は築きやすいのではないか。意識していないとしても自分の周りに集まっている人はそのような人であることが多い。経験の種類や幅の話ではなくて、それ係に横の話であるとしたら、それを通過していくことによって得られていくものが段階だと思う。だから必ずしも、同じような経験、種類の出来事を経験してきたから、同じ時間を過ごしたからといって全く同じ段階にいる訳ではない。むしろ同じ経験だからこそ、という訳でもないのだが、同じ経験であっても感じ方や学び方は千差万別なのである。そして逆に、時代や経験する事象、出来事は違えども学び方や感じ方、段階の乗り越え方にも同時に類似性、相違性が見いだせる。同じ段階、つまりその出来事から学んで感じること、今時分がいる場所が近い人と程関係を築きやすいし、自然と求めてしまうのではないか。そうでないと、関係は継続しにくいとすら感じている。

 自分を信じられない人を愛することなどできないというに、それ(段階)は具体的な形をとって現れる場合もある。日常のありふれたこと、それに加えてある種特殊な生や死の体験を通じて段階は変わっていく。そして愛という抽象的なものは日常化非日常かの区別すらつかないが段階に大きな影響を与えていく。そのような段階をいくつも通り過ぎて毎日生きている。