Carpe Diem

Think good thought.

Approach

どこに問題があるのかと考える人。

自分はこれに向いていない、嫌いだ、苦手だから。

何がいけないんだろう。

どこで間違ってしまったのだろう。

 

どこに解決策があるのかと考える人。

自分にはこれが向いている、好きだ、得意だ。

どこが素晴らしいのだろう。

どこでこの道に進んだのだろう。

 

そのようなことを考え続ける。

誰に頼まれたわけでもないのに。

何日も何日も寝られない。

考え出してしまう。

正確に表したいのだがそうもいかない。

誰かに、それは違うのではないか、もっとよい方法がある、それは悪いと言われたらしっかり説明することもできないしまずその意欲すら湧いてこない。

かなりまずい状態だと自分では思っている。

その反面気楽に過ごしている事実もあるし、自分のことがよくわからない。

重出してみて、自分のことをよくわかっていた時期もあったような気もするがその時は自分が自分をどうにかして騙していたのかもしれないと思ってしまう。

考えているとは実際言い難い。

自分の中にある何者かに向き合おうとして、そこにあるものを引っ張り出そうとしてもがいている感じ。

自分で表現するともがいているという言葉がぴったりくるように思う。

けど他人からみればそんなことはないだろう。

何日も眠ることができない。

何かわかったようでまたわからなくなる。

 

そんなこんなで、自分で考えるだけでなくて人に相談してみることにした。

大概、人に相談する場合は自分の悩み事自体を伝えることができない。

自分の悩み事がよくわからないことを伝えるし、その気持ちに混乱していることばかりを伝えるから相手としてもどうしたらよいかわからない。

相談された方としても困るうのも無理はない。

自分としても、そもそもそのような人の話などあまり聞きたくないと思う。

聞いても理解できないし何か提案できる自信もない。

けど相談相手はしっかりと話を聞いてくれた。

適切な言葉をたくさん返してくれたと思う。

それはつまり、自分が信じられる言葉だったということ。

 

いつか誰かに聞いた言葉がある。

本で読んだ気もするが、出会った時以来頭から離れない。

相談されて提供できるものは、人か金かだけだ。

確かにそうなのかもしれない。

自分が相談する方の時でも、される方の時でもこの言葉を思い出してしまう。

相談される側だったとしても、自分はお金もないしこれといった人を紹介することおできないといつも思ってしまう。

そして実際にできないのである。

この言葉が正しければ誰も自分に相談しない方がよいと思う。

しかし、自分が相談する側になって考えてみると、その両方を望んでいないことは多々ある。

なんとなくでもよいが、その人の言葉をもらえるだけで大きな意味がある。

むしろ、人は紹介されたくないと思うし、他の人に繋いでもらうことを期待しないで相談することが多い。

そしてお金は、相談だけじゃなくていつなんどきでも関わっているものだから特段分離して語るものでもないように思える。

もしも人と金で片付くとしたらそれはよいのかもしれないし、自分の悩みに対してあらゆる人からお金と、専門家を提供してもらい繋いで貰えばあらゆること完了する。

そして悩みというものは早く世界からなくなっていくだろう。

 

今回、相談してみて幾つかの言葉をもらった。

焦る必要はないということ。

誰もあなたのことを責めていない。

好きなことだけをしていればよい。

けどその中でも守るべき幾つかの物事はしっかり守ること。

元気で、いなくならなければよいということを。

とてもシンプルなものばかりだった。

そのような言葉を自分はこれまで誰かにかけたことがあるのだろうか。

そして、誰かのために何かをしてみること。

グズグズ言っていないで、家族でもペットでも植物でもよいから何かをしてあげてみること。

洗濯をたためば誰かが休めるかもしれないし、水をしっかりあげれば収穫時に形のよい野菜になるかもしれない。

たった1日でもやったかやらないかの差は大きい。

もしも自分のことだけに時間を費やして、誰かに何かの影響を与えられたらよいけど、それは簡単ではない。

それに悩んで踏み出せないでいるなら、家から外に出て誰かの話を聞くだけでもいいしゴミ拾いをするだけでもとってもよい影響を誰かに与えることができる。

ほんの少しのプライドの問題で、それらのことは簡単にできる。

殻にこもってはいけないと、確かにそうかもしれない。

誰かのために何かをする、困った時はこの考えを持てる余裕がなくなってしまう。

 

もし、あなたの行いが、例えば文章や行動が結果的に何万人もの人に知られることになったとしたら今日のような行いをしたのだろうか。

自分だけの基準で生きて、自分だけで生きていくことは本当に容易ではない。

強さもいるし、切り捨てるものが多い。

いきなり大きなことをしようとしなくても、少しづつでも外や他人とカカ話ていくことが大切なのかもしれない。

他人の目を機にすることも大切だけど、自分の中のちょっとした、変なプライドとしっかり向き合う必要があるのかもしれない。

肝心なことは、どんな行いも外とつながっているということ。

勘違いは勘違いと認められるように心を開くこと。

 

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