Carpe Diem

Think good thought.

伝えなければならないこと

彼女の仕事は、その施設の紹介をすること。

もちろん事務職というのが表向きだが、実際にお客さんと接する時間が長く、机に座っている時間が短い日も少なくはない。

雨が降っても、日差しが強すぎるくらい晴れていてもその施設には世界中から多くの人が訪れる。

ほとんどの人は、その場所がどんな場所であったのか知った上で足を運んでくる。

そこは、世界の歴史に残る建物で、悲しい歴史の上に成り立っている多くの施設の一つなのだ。

世界ではこれまで、悲惨なことがたくさんあった。

たくさんの命が失われ、多くの文化や文明が壊されてきた。

人の意思によって世界は豊かになってきたがその分だけ、いや、それと同じ以上のものを失ってきたことは明らかだ。

彼女がこの場所で働いているのも幾つかの理由がある。

初めて訪れたのは二十歳頃。

大陸を旅行して回っていてこの場所にたどり着いた。

麻薬や芸術、運河で有名なこの場所にこの施設があることを彼女は知っていたが、足を運んだ理由はなんとなくといった程度だった。

一通り見学を終え、外に出てきた時、世界には見なければいけないものがある、知らなければいけないことがまだまだあると彼女は悟った。

前々から旅の中でそのような気持ちにはなっていたが、この時にはっきりと確信した。

私は、他の人と競いながら保険を売っている場合ではないし、炎天下の中足を棒にして初めて会う人たちに企業の製品を売りつけている場合ではないと思った。

それよりも一つの場所に止まって、そこに来る人たちに何か情報や体験を提供すること、そしてそれを手伝うことで自分が知って欲しいと思うことが人がることを願ったのであった。

少なくとも、そこに来る人たちには目的があるように思えた。

そして、世界中からたくさんの種類の人が訪れる。

誰にでもわかる普遍的な体験や感情を、あらゆる人に体験してそれぞれの国に持ち帰り、それぞれの言語で伝えて欲しいと彼女は望んだ。

 

ある人々から逃れるためにある家族が過ごした場所がこの施設だ。

最近ではダークツーリズムという言葉が存在する。

戦争や災害の後を保存したりして、その場所を見たり、巡ったり博物館や施設に足を運ぶこと。

昔のことを若者がそこで初めて知ることもあるし、自身が経験したものを確認しに来る人もいる。

この時代になって、彼女雨が働いているその施設が実際に使われていた世代の人たちはもうほとんどいなくなってしまった。

あらゆる不幸を目にする機会は時代が進むにつれて減ってきているかもしれないし、展示する側としても時代がたつにつれ昔の史料が廃れてきたり展示の方針も変わってくることがあるだろう。

一般的に辛い過去を目にした人々の気持ちは暗くなりやすい。

わざわざお金を払って、何時間も並んでまで悲惨な過去を思い出す必要はないと考える人もいる。

それでも彼女が働くこの施設には毎日たくさんの人が来る。

そして、面白いとは言えないかもしれないが不思議なことに多くの人が力をもらって帰っていく。

その施設に暮らしていたある少女のように。

誰もが皆、虐げられたり抑圧されたことがあるだろうし自身がマイノリティになった経験があるはずだ。

そのような経験そしてその現実に立ち向かったことがある人たちはある種の共感を抱いていくに違いない。

それは時代、場所、言語や環境が違ってもとても似ているもので心の奥底に強く深く刻み込まれたものだ。

何かしら自身や希望を見出し、少しだけ強くなった気持ちで訪れた客は帰っていく。

毎日その繰り返し。

 

ここは、必ず訪れる価値のある場所だ。

訪れなければならない場所の一つだと彼女は確信していた。

歴史とはほとんど、悲劇の集まりだと誰かが言った。

けど彼女は信じていた、その悲劇から学ぶものは多いし、悲劇の中からこそ希望が生まれてくるものだと。

その施設に住んでいた人の物語が、その文章が世界中の言語に翻訳されて何十年経った後も読まれているように、世界には語り継がれる必要のある物語が存在する。

その施設がある場所は有名な画家の出身地でもある。

その画家の作品のみを展示した博物館は彼女が旅行で訪れた際に大規模な移転を行っていて、仮の施設でレプリカを見たことをよく覚えていた。

けど今彼女が働いている場所は移転できるようなものではない。

その場所、建物自体に大きな意味があるし世界にはそれを代替できる場所はこれからも決して存在しない。

 

次はどこで働こうか、彼女は考える。

自分が世界に伝えていきたいこと、そして、その施設に住んでいた人の文章が世界に広まっていたことも今回彼女がここで働きたいと強く思った理由だった。

私も文章に乗せて、大事なものを伝えていきたい。

そこにしかないはずの体験や物語を、より多くの人と共有するときの、わたしという存在が何かの役割を果たすことができれば幸せだと思った。

しかし、それはしなければならないことであり生半可な気持ちではいつまでたってもできないといことは働いていてわかった。

そして彼女は、また新たな場所へ歩き出す。

 

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