Carpe Diem

Think good thought.

2014

2014年。

12月はその象徴のような月だった。

今年一年はこれまでで最も文章を書いた年だった様な気がした。

あらゆるものがイメージになった。

あらゆるものがイメージになってしまっていた。

手帳や過去の文章を振り返ってみると、これまでの方が文章を書いていたらしい。

今年になって初めて旅行のことに関しても記憶が曖昧になってきた。

いつどこに行ったのか、景色はわかるのだけど場所の名前が出てこない。

これまでは普通ではなかったことが普通になってきた。

それを感じられるようになったのだが、それに対して何かはっきりとしたことをできているわけではない。

12月は文章を書く機会が少なかった。

そして今、書く必要があると強く感じている。

考えがどんどん流れ去ってしまう。

記録しておくことの価値は大きいし文章にしていく中で明らかになるものは多すぎる。

とにかく自分が書き続けたいことがわかった。

そして、書き続けていく必要があることも。

そして今年は最も移動距離が短い年だったのではないかと思う。

あらゆる県を訪れたと間わかりからは思われていたらしいが。

海外にも全く行かなかったと言えるほどで、海外旅行をしなかった年は初めてだ。

国内も多くの場所に訪れてきた結果かあらゆるものの違いがうまく認識できなくなってきた。

今年一年何をしていたのだろうかとも思ってしまう。

けど、実現できたことは非常に多かった。

当たり前のことなのだけど、個人的な欲望にしっかり向き合えたと思う。

失ったものはほとんどなかった気もする。

失えない環境になったのだとも思う。

持っている荷物はこの一年でとっても少なくなった。

それはこの上ない進歩だと言える。

いるものといらないものがはっきりわかってきた。

周りを介さずに、よりダイレクトに物事を見つめて判断することができるようになった。

相変わらずだが、時間はかかった。

結果的にある方向性は見えてきたのだけど、あらゆる決断を下すまでの保留期間が長かった。

若い頃からその点は変わっていない。

一年間で考えるといろんなことがあったわけだが大きな一つのサイクルを経た。

そして、こんな期間は存在しないしおかしいのだけど、準備期間のような一年だったとも思う。

過去を否定したり後悔したり悲しむつもりは全くないけど。

それほど楽しい一年間でもなかった。

ただただ、マイナスにはならなかったという感じだろうか。

マイナスになったこともないしマイナスになるということも理解できないのだが。

準備というか、蓄積は多すぎるほどの一年だった。

多くのものを吸収したと言い切れる。

当たり前だけどほとんどは好きなものだ。

本を読んだり、人に会ったり、音楽を聴いたりなんて当たり前のことしかしていないのかもしれないが多くのものを吸収できた。

ゼロから一になった部分が少なくはなかった。

これまで知らなかったことを知ったと感じられる機会は多かった。

けどこの一年はやっぱり楽しくはなかったのだろう。

すっきりはしなかった。

これからあらゆるものを失っていくための準備だったのかもしれないという気もする。

憂いを身につけた一年間だった。

ハッピーエンドの物語をかけないようになってしまった。

元から書く気もなかったし書く術も持たなかったのかもしれないが。

今こうしてもう一度文章を書くことができて安心している。

やめるべきこともあれば、やめてはいけないものがあるということも強く感じた。

くだらないこともしたし人も傷つけてきたなあとも思った。

いろんなことを懐かしく感じる一年だった。

いろんな表現を用いてこの一年間を振り返ってみたいとも思っていた。

けど、その機会を逃し続けてきた。

やはりその時に書くべきものが存在するわけで、通り過ぎたら基本的には戻ってこない。

喪失と、期待と、期待と失望を繰り返してきたような一年間だった。

結婚して、離婚して、再婚してような一年。

ビジネスを始め、軌道に乗って、完全に失敗してしまったような一年。

人を信じることがどれほど難しいのかを知った。

これまでは無邪気だったのか、無知だったのか、勇敢だったのか。

うつ病に関する疑問。

脳の病気だとしたら健全だったものが時間を経るにつれて徐々に物質的な変化を帯びていくということだろうか。

ちょっと信じられない。

まるで病は気からというような話だ。

けど、落ち込んでいたり哀れんだりし続けるのもそれなりにというか相等の体力が必要だと思う。

そんなに疲れることはやってられないし、気楽に考えたり裏切られたりする方が余程楽なのではないかと思う。

だから、ポジティブになることなんか目標にしなくてもいい。

ネガティブにならないように意識するだけで十分かも。

そんな個人的なことはまあ、勝手に個人がやれば良いだけかもしれない。

孤独を恐れる人もたくさんいる。

他人お評価や目線を気にしすぎて怯える人もいるし、それがないと自分がわからなくなってしまう人もいる。

勝手に誰かを傷つける人もいるし勝手に傷つく人もいる。

来年はどうしていこう。

まだまだ吸収だなあと思った。

アウトプットすらも人それぞれだと思う。

表面に持ってこない形で昇華することも可能なのだ。

自分でできることは自分でやる。

というか、自分しかやってくれないこと、自分しかしないことが世の中のほとんどであることがなぜわからないのだろうか。

時間か、お金か、何が一番大事かも人それぞれに違うわけで。

人に迷惑をかけたり、勝手に期待して落ち込んだり。

何もかもも自由なわけで。

常に自分が被害者だと思いたい人もいるし加害者でいることに喜びを感じる人も。

リスクを犯せと言われても、人から言われてもよくわからないことは多くある。

気軽に、関係ないことはほっといて生きていこうなんて呈示される必要もないわけで。

書く人がいる、そこに文章があるからといって必ず読む人が存在するわけでもない。

約束なんて限られたものでしかないし。

自分を信じるも他人を信じるも良し。

信じることが間違いの始まりかもしれないし。

素敵な一年になりますように。

主語のない言葉は確かに説得力も具体性もない。

それは誰から誰への言葉なのだろうか。

僕は、私は、1年後、一年という期間をどのように振り返るだろうか。

楽しみで仕方ない。