Carpe Diem

Think good thought.

それはだれに希望を与えうるのか

新聞でシンポジウムへの案内。

世界中から有名な識者が集まる。

無料で招待される。

それに応募する人はどんな人なのだろうか。

大学を出ている人で、例えば環境問題に関心があったり普段から問題意識に対して行動している人なのだろうか。

生きていくのがやっと、という人は決して応募しないのだろうか。

 

アジアで働く人々の特集。

これからアジアはより成長していく。

ダイナミックな環境を逃してはならない。

そのように記事は書いてある。

そして、幾らか成功した人たちの話。

経歴が書いてある。

アメリカで幼少時代を過ごす。

日本の最高学位を出ている。

留学中に起業をし、、、。

全く普通の人たちではないのがわかる。

それはたまたま選んだ人たちだったのだろうか。

そういう人たちでないとやっていくことは困難だと示したいのだろうか。

このような記事を見て、例えば大学にも行くことができない人たちが希望を持つことがあるのだろうか。

さえない会社で、就職先を間違えたな、自分の大学のレベルも低いしな。

そんなことを思っている人たちが、例えばこの記事を読んで俺も、私もアジアに行けば成功できるかもしれないと思うのだろうか。

誰に、どうしてもらいたい記事なんだろうか。

 

その中に一人、いやむしろ全員が異色の経歴だったらどうだろう。

中学校しか出ていない。

留学経験もなければ日本で働いたこともない。

海外に知り合いなんて一人もいなかったし日本から出たこともなかった。

そのような例をたくさん見たり聞いたりすることで誰かが希望を持つのだろうか。

自分にもできると思うのか、これもまた特殊な例だと思って自分とは関係ないと思ってしまうのか。

 

どのように受け取るかに関しては自由があるし操作できないことも大きい。

しかしながら書き手にとってはそれなりに伝えたいイメージは明確だろう。

どの層に、どれだけのことを伝えたい。

そして実際にその人たちにある特定のことをしてもらいたい。

もしくは、せめて希望だけでも抱いて欲しい。

最低でも知ってほしい。

 

そもそも、新聞を読んでいる人ってどんな人なんだろう。

読んでいる人と同じような階層の人しかいないのだろうか。

それだったら納得がいく気もするし狭いしか見られない気もする。

ほとんどの人が大学出で、留学をしていて世界の一流企業で働いている。

もちろん、そのような人たちが傾向として読んでいるものはあるだろう。

けど、新聞なんかは昔からもっと大衆的なものだったのではないかとも思う。

今は決してそんなことはない。

 

何が特殊で何が普通のことなのか。

その記事、出来事が自分の人生とどう関わってくるのか。

書き手にはどんなメッセージが浮かんでいたのか、誰にどう届いているかを想像すること、考えることは常に重要だ。

世界は想像以上に分断されている。

例えばそこで、一般の人、例えば学歴が低い人たちに対してのライフモデルが少ないと問題意識を持った人がいるなら誰かしらが行動に移していくだろう。

そう考えたら新聞が一面的なのも悪いことではないかもしれない。

 

その記事は、誰に希望を与えうるのだろうか。

あなたが何も感じない、自分と違う世界の話だと感じているならば、なぜそれを読んでいるのだろうか。