Carpe Diem

Think good thought.

スピード感

 

 自分の頭で物事を考えるようになってから色々と感覚が変わってきた。その感覚が変わってきたということを自分で考えられたというのが適切なのかもしれない。自分の頭で考えるとは、自分で選択をしていくこと。選択をし続けてきた人に決して勝つことができないという言葉をどこかで見た。非常に納得したしはっとさせられた。全ての場合に適応するわけではないが重要な時に判断を下せるかには大きく関わっていると思う。判断が正しいか、悪い選択をしたとしても最悪の状態にならないか。直感という言葉がある。第六感。それは鍛えれば発達したり進歩したりつまりは役立つものになってコントロールがより容易になるものだろうか。おそらくその答えはイエスだ。洗濯し続けたものにしかわからない世界がある。選択もそれと同じだ。何百回もの修羅場をくぐり抜けてきた人と一つの選択に何年をも書ける人では直感というものが相当異なるだろう。直感はすなわち経験なのかもしれない。間違うことは避けられないだろうが重ねていくにつれて制度は徐々に上がっていくだろう。集中したり分析することで自分の求めている答えに近づくことができるはずだ。

 これまでにどれくらいの経験をしたことがあるだろうか。その中でこれは重要だと思ったことがいくつかある。経験といっても様々だ。事案にとって大切なこと。人の生きた方に関わる選択。細かい反射的な判断をどれだけ重ねてきたのか。また、長期間でいくつもの案件を同時にこなしながら判断を重ねていく。お金の規模が大きいもの。一億円の案件を10個と10億円の案件1個ではどんな違いがあるのか体験したことがないのではっきりとはわからないがそれぞれ独特な体験であり多くのものを吸収できるのだろう。選択することに対しても捉え方が異なる。主体的か受動的であるかに大きく関わっている気もする。子供の頃は特に、うまくいかないと相手のせいや環境のせいにしがちである。その原因を外に見出す。誰かがおもちゃを取ったからそいつに直接的に仕返しをする。自分が望んでいた色のおもちゃが手に入らないから起こる。親が服を買ってきてくれない。なんで僕のうちだけみんなと違うのだろうか。成長していくにつれて自分でできることは何かと少しずつわかってくる。何を学ぶべきか。問題が起こったとしても広い範囲で考えることができる。他人の失敗から自分にとっての教訓を引き出すこともできるようになる。いつまでも他人の人生で生きていたり環境に身を任せていると選択をする機会がない。選択を自分でしているということに気づかないのだ。いつの間にか自分はここにいた。やりたくないことをやらされていてもう逃げ道はない、どうしてくれるのだと怒り出す。自分で選択してきたということがまず理解できない。理解したとしても受け入れられない。誰かに当たったりめちゃくちゃになったりする。同じような道を歩んでも、いつからかそこから抜け出す人はいる。仕方ないと開き直って最悪の状況から必死に何かを学ぼうと奮闘する人もいるしその人たちは選択をし始める。やはり、自分がその時に何を獲得しているのか、同時に何を失っているのかを考えることは非常に重要だ。選択の一面しか見ていない場合が多い。何かを得ることは何かを失うことを理解するまでにはそれなりの時間や経験が必要だしある場合にはお金かも必要かもしれない。家族から学ぶ人もいれば、職場などの環境や自分の夢がそれを教えてくれるかもしれない。主体的にならざるを得ない、選択をせざるを得ない段階がいつしか訪れるはずだ。

 スピード感に関しては二つ驚きがあった。一つ目はアイデア。自分の頭で考えられるようになった頃から頻繁にアイデアが出てくる経験が止まらない。今でもそうだ。これまで学んだことや体験したことの意味がいきなりわかったり繋がったりする。それは街を歩いている時でも音楽を聴いている時でも食事中でもいつでもこちらの都合にかかわらず突然現れる。襲われているかのようだ。最初はその感覚が楽しかった。頭の中に経験をろ過する装置というか帰納的解釈に適した装置が人ツォ萎えられたような気がして面白かった。最初は面白かったのだがそれがどんどん拡大し続けて次第に驚くほどになった。アイデアが湧き続けて止まらない。誰の役に立つわけでもないものから世界で自分しか考えていないんじゃないかと笑ってしまうものまで。これまでも長い間生きてきたしアイデアだって呆れるほど浮かんでいたはずだ。けど、この時初めてアイデアが浮かぶ感じというものをつかんだ。この感覚は自分いとって非常に大切だ。とっても早すぎて今では浮かんだ瞬間に消えていく。言葉通り。何かの真理をついに見つけたかと感動したら家に着く頃には忘れているしほとんど全てを思い出せない。メモを取っていても詳細がわからなくて書けなくなってしまうことも。そんな経験が最近も続いているし毎日書き続けてもアイデアは止まることがない。とってもスピード感があって早い。それを生きているうちに大事にしっかりまとめなければいけない。そんなことを一人で勝手に考えて文章を書き考えを整理したり記録したり表したりしている。アイデアが繋がる感覚は非常に面白いし以外にこの感覚がわからない人がいるというのも最近知ったことだ。

 ビジネスのスピード感。大きな組織に所属したことがないし、ビジネス以外でも大規模のことを大人数でやったことはそれほどない。それでも、これまで関わってきた中で知ったことがある。尋常じゃないくらい早いスピード感を持った人が世の中に入ることが。アイデアが浮かんだら即実行という人がいる。けど、そういう人には会ってみないといけないし、会うまでその感覚は決してわからない。肌感覚で理解するしかない。呆然としてしまうようなスピード感。それを一回知ってしまったら他のことがありえないくらい遅く感じられる。皆がそうならなければならないということはないのだが。自分としてはもっと大きい組織で信じられないくらい遅いことをやったりその感覚を知ることも大切なのかもしれない。早い段階でどんなペースに出会うか、どんなスピード感を知るかはそのあとの生き方に大きな影響を与えることは間違いないだろう。

 そして二つの特徴がある。まず、段階がある。受動的から主体的といったように、どうしても踏まなければならないステップがある。泳ぐのでも、走るのでも。長距離も短距離も最初から早い人はいなくて徐々に進化していくのだ。そしてその内に勝負できる場所は1500mと100mだけではないと知る。いろんな競技があるし自分が最も実力を出せるところで勝負したりすればいいのだ。結果を残せなくとも毎年参加して同じタイムを守るのもいいかもしれない。けど、この探すプロセスや段階を飛び越えることができないしその中でスピードカンというものを学んでいく。もうひとつ。戦いの場所を選ぶように人と自分のペースをマッチさせること。相手と同じになる、自分と相手を同じにさせるではなくて適度に調整し最大限の力を発揮すること。自分のスピード感を知ることと相手のスピード感を理解できること。そのふたつが重要なんだと思う。一旦スピード感を知って仕舞えばできることは増えるはず。どこまでも早い人を追いかけて成長するのもよし、早くできない人と手を取り合って支えていくのもよし。