Carpe Diem

Think good thought.

普段あまり使わない言葉 

 

 意識的に、それほど使わないようにしている言葉が幾つかある。それを使ったら気分が下がってしまうからではない。昔はもっといろんなことを考えていた。若い頃は。マイナスな言葉は使わないようにしていた。自分で言うと悲しいことや辛いことが集まってくると思ってしまうからとかが理由ではない。自己啓発のようなものもなくて、なんとなく嫌いだった。一々文句を言っていたり愚痴を誰かに言いつづけるのは自分には難しかった。そんなこと今でもしたくないし、自分が誰かにそうされても全く嬉しくも楽しくはない。あーあ、とため息をつく。今日もつまらなかった。くそ。つまらない。あまりそういうことは言わないし、一回気づいたら2年間ぐらいそのような言葉を使っていないことがあった。冗談ではなくてしっかり二年ぐらいはいわゆるマイナスと言われる言葉を使っていなかった。驚いたけど、確かにそんな言葉も忘れてしまったなあという感じだった。使わなくても生きていく上で全く問題ない。それで、マイナスの言葉を使っていた時と比べてよかったかと言われると答えはよくわからないわけだが。そうでなかったものと比較することはできない。この二年間全ては良い感じだったからうまくいっていると何と無くいうこともできる。まあ、そうであってほしい。

 めんどくさい。めんどうだという言葉は使わなかった。今でも使うのが嫌だ。注意していないと誰かが言った時に合わせるためにかぶせてしまう気もする。めんどうだ、という言葉は本当に力強い。別に手間がかかるわけでもなんでもないこともそのように見えてきてしまう。やる気が思いっきり削がれてしまうのだ。この言葉の力強さには驚かされるばかりだ。だから昔一時期、この言葉を使わないようなゲームをしていたことがある。会話の中でめんどう、めんどくさいと言った場合には罰金を課すと言ったような感じで。それは非常に楽し方しお金もたまるので非常に魅力的だった。そのような取り組みをすることやあいてがその言葉を発した時に聞き逃さず指摘するのはまったくめんどうではなかった。そんなこともあり最近では全く使っていないし使いたくもない。めんどう、めんどう言っていると何もかもがそうなりそうだからだ。楽しい楽しいと言っていても必ず全てが楽しくなるという期待は抱けないのにおかしなものだ。

 人生。人生という言葉は好きだしついつい使いたくなってしまう。年をとった人が若者たちにわけもなく説教をしたくなってしまうのと同じくらいに出てきてしまう。人生はなんていいだしたらまず、説得力を失ってしまうでしょう。なんか聞いている方としても聞く気を失ってしまう。またつまらないことを言い出すのかと。真剣に話している人は本当に少ないと思う。それぞれの言葉が伝えられるべき時は実際に存在して、それがとても限られていると思う。死ぬ前に、自分の人生を振り返ってみて私の人生はと語る時は相当深い意味が込められているだろう。それに比べて友達との何気ない会話や居酒屋で上司が人生について語りだしたらそれは本当に悲惨なことになるとお思う。少なくとも自分にとっては。決してそんな話に関心を持てないし真剣に聞くことはできないと思う。だって、そんな単純な話に使う言葉ではない。一番大切な人とぐらいしか人生については普段語ることはないでしょうと思っている。もし人生や生き方について語る機会があれば(あまりないと思う)、その相手は大切な人であろう。簡単に言葉にしてはいけないこと。人生という言葉を使うだけでいろんなものが色褪せてしまう。しかし、真剣に話しているときはものすごく強い意味や力を持つ。だから、そんな時は興味が持てないとか馬鹿にしようなんていう思いは絶対ないと思う。だから、知らない人と話をするときには絶対人生という言葉は出てこない。もし出てきたとしてもその時の自分は相当話す気がないのだろう。そう書くことで誰かが興味を持ったり語調がいいと思った時だけだろうな。

 あとすぐに浮かぶのはもったいない。もったいない。子供の頃はよく使っていたと思う。日本人が何気なく使う言葉でも上位にランクインするのではないか。もったいないという言葉は日本にしかないということを昔よく聞かされた気がする。それが本当かどうかは今でもわからないしどうやって確かめるべきかも知らないが。けど、推測に過ぎないがもっといないという感覚は人間なら誰でもわかりそうだ。言葉はその国に存在しなくても、あ、もったいないと思うことは何度もあるだろう。調べれば案外簡単に見つかるのかもしれない。もったいないという言葉を使ってしまうことがもったいない。そんな表現はいつ覚えたのだろうか。誰かがそう言っていたのかもしれないし自分が読んだ本にその表現があったかもしれないが今は覚えていない。もったいないを最もうまく表現している例文の一つだと思う。もったいないと思うこと、いうことがもったいないのだと。確かにそれには納得する。

 他にもいくつかの言葉があると思う。あまり人に対しては頑張れという言葉は投げかけないとか幾つかの自分なりの決まり。けどそれはしっかり考えた末に出来上がった立派なルールではない。自分のためや相手のことも思って気持ちを抑えてしているというわけでもなくてもっともっと個人的でとっても感覚的なものだ。それと、人生と似ていて定義が難しいものに対しては使うのを慎重に考える。人生と言ってもなんのことかはすぐに伝わらない。夢もチョット抽象的だ。寝ている間に見るものもあるしその人が人生で成し遂げたい最も聖なるものでも夢と呼べる。

 けど、まとめたりしてみると幾つかのことに気づく。初対面の人に対して言わないようなことは大切な人にも言わない。生きているうちに会うことはないだろうなあと思う人に対して投げかける言葉と、一緒に生きてきて頻繁に顔をあわせる人に対して使う言葉には確実な違いがあるはずだ。知らない俳優の演技を気軽に批判することはできるだろう。未熟だ、なってない、つまらない。けどそれが、少しでも知っている人だったら。演技は下手だとしても昔からの大事な友人だったら。感情が入ってしまうだろうしもっと優しい言葉を投げかけるだろう。何かを指摘するにも相当の覚悟がいるし相手のためを思わないとできないことだ。

 人生、運命、夢。もったいない。種類と特徴は違うのだけど似ていることはある。規模が大きくて曖昧だ。意味しているところが人それぞれで大きく違ってしまう。そして、日常でそんなに頻繁に使う言葉ではないし使われるべきではないと思う。ものすごく強い力を持っているから慎重にならざるを得ない。そういう言葉を使ってしまえば、正直に言って相当楽だ。それも運命だから。人生¥はそういうものだよね。夢だから決して譲ってはいけない。もったいないことをするな。一言で全て伝わってしまうような気もするが実態はあるのだろうが。中身は空っぽ。相手のことも知らないのに自分より大きな言葉を使っていろいろ片付けてしまう人。それは逃げているようにも見える。そして思考停止だ。そこから先が全く存在しない。安易なものに、自分より大きなものに身をまかせるのは楽だが自分の中身はどんどん空っぽになっていく。そんな人は信用できないし言葉の選択からもいろんなことが見て取れるような気がする。