Carpe Diem

Think good thought.

Fit

 

 自分にとって何が最も相応しいか。それを少しずつはっきりさせていくことが毎日生きている理由の一つではないかと思う。もちろんはっきりとした答えは簡単に手に入らない。手に入れた人が必ずしも幸福というわけでもないし、求め続けているのが不幸というわけでもなくて。けど、探してみるその試みにはとっても重要なものが含まれているだろうし何より楽しいと思う。時々大変なのだけどそれを含めてもなお。

 これまでこれは自分に合っていると感じたことはあるだろうか。パットもいつく人と思いつかない人どっちが多いのだろう。自分の経験を自分になりにまとめる人もいる。無意識にそれをしている人もいるし意識的に整理している人もいる。これまで自分がしてきたことをどう捉えるのか。分類すことは簡単ではない。分類した後で見えてくる世界は案外すっきりしているが。例えば、これまでしてきたスポーツ。子供の頃自分が所属してきたチーム。好き嫌いに関係なく体育の授業でやったこと、やらされたこと。サッカー、野球、持久走、ダンス。その中で、自分の意思で始めたものとやらざるを得なかったもの。興味関心を持って積極的に行ったこと。時間だけではなくてお金もつぎ込んで、自分だけじゃなくて家族を巻き込んだり協力者がいることで可能だったこと。ひょんなきっかけから始めたこと。それは人数が足りないから手伝ってと言われたから緊急で参加した何かの大会かもしれない。単位を取るために死ぬ気でやらざるを得なかった厳しい体育の授業だったかも。どんなきっかけであろうとも幾つかの物事に人は挑戦してきている。挑戦とは言わなくともそれをやる機会はあった。そしてそれは自分にとってどんなものであっただろうか。

 わかりやすい対比。個人競技と団体競技。他人との競争と自分との競争。この辺は興味が結構別れる。自分に負けることが死ぬことも嫌な人もいれば他人にだけは負けたくないという気持ちで毎日過ごす人もいる。勝負事を避けたがる民族もいるし助け合いの精神が強すぎて他を負かすことに拒否反応を示す動物もいる。いろいろやってきて、自分には合うもの、つまりフィットするものがあるのではないか。そして同じように、これは決して合わないなと思ったこともあるだろう。その感覚がなんとなく面白い。自分の話でも他人の話でも。そこにその人らしさというか個性と呼ばれるものが強く現れている気がする。

 やっぱり人は、好きなものでも嫌いなものでも偏りを持って見てしまう。自分が好きなものにはそれらしい理由をつけて褒め称えるし、文句を言ったり納得できない(それらしい)理由を嫌いな物事に対して述べ続けることが得意な人もいる。例えばこうだ。自分の場合はサッカーが好きだったし今も好きだ。そしてそれは自分にとてもフィットしていると思う。ポジションはできるだけ前のほうがいい。守りもできるができるだけ攻めのほうがいい。自分で点を取るのも大好きだし人を動かして生かすこと、そこに鋭いパスや創造的なメッセージを送ることも好きだ。どの辺があっているだろうか。サッカーはチームスポーツだ。集団は好きではないが個人で戦うのとは違った面白さがある。ある程度自分の好みや能力に集中できることが好きだ。攻めなら攻めで守りには力を注がない。点を取られても自分のせいではないというまではいかないが、そこには気を使わず自分が点を取ることに集中する。役割がはっきり分かれていること。そして、自分の役割ごとに責任を取ることが良いと思う。点を取られても自分は責められない。もちろん、取らなかったらある程度責められる。チームというもの自体がとても補完的にできていて能力も責任もある程度分散されている。その上で自分の好みやスキルを最大限にはっきりすること。チームの考えやルールをできる限り皆で共有する。その上での即興。個人にしかない価値を生み出していくこと。周りのことを考える。22人で行うスポーツだから味方のことだけではなくて相手のことを考えて動く。広い視野がないと生き残っていくことはできない。即興で状況に合わせて最善の選択をしていく。二度と同じ状況はない。自分が最高のパフォーマンスをしたって負けることがある。このような感じで自分が好きでフィットしていると思える環境や物事に対しては幾つかの、幾つもの文章を書けるはずである。そのような場所が誰にでもあるはずである。反面、個人競技は自分にはそれほど向いていないかもしれない。一人だとまず、すべての責任を自分で背負ってしまう。逃げ道がない。皆で何かを生み出すという想像以上のものを体験することもできない。一人でこれをやっている意味はあるのか、なんて考えて正面にあることから顔を背けたくもなる。そこまで個人で能力を持っていなくても周りを活かしたり自分が活かしてもらえる団体競技のほうが良いのかもしれない。テニスをするのも一人よりダブルスのほうが楽しいだろう。

 これはスポーツだけで言えることではない。いろんな場所に、生きている間に所属する。それは国かもしれないし都市かもしれない。家族だってそうだし恋人もそうなるだろう。そして人生の中で多くの部分を占める仕事に至ってもそうだ。昔と今は異なるので、様々なことに対して流動性があると言える。一生を一つの仕事と共に過ごし終えるということは極めて稀なこととなった今。転職を複数回している人もいる。職種を変えるだけではなく業界自体変えてしまう人。思い切って国や言語を変えてみる人。そしてそれらのアクセスも日々、劇的に改良されている。

 おそらく、自分が心地よいと感じる場所は自分の特徴を活かせる場所だと思う。そのためには色々試して、自分の特徴を把握してみる必要があるかもしれない。自分がまず求めているものはなんなのか。これだけは絶対守らないといけない基準や要素ははっきりしているか。嫌いで、絶対できないしやりたくないこともわかっているはずである。自分の特性がわかればそれを生かそうと思うのは極めて自然なものであり思考というか現象のようなものかもしれない。それをどこで活かすべきか。生かすことでさらにまた自分ができることや自分の組織が与えられる影響が拡大していく、その期待や希望が強く人を動かしていくのだろう。いつまでもそんなものを探し続ける時間は確かにそんなにないかもしれない。時間は限られている。けど、どんなことをしていようが自分の感覚というものには嘘をつけないし少し意識するだけでわかってくることはある。どんな場所にいても、この場所に自分はフィットしているのかと問うことはできる。フィットしようとする価値はあるのか、しようとすることで健康を損なわないか。質問や感覚は人によって異なるだろう。どちらの答えが出たにせよ、あなたはまた一歩踏み出し、よりフィットする場所に近づけると思う。会おうが会うまいが自分というもの、自分が求めているものが少しずつでも明確になってくるだろう。対象は気にしなくても良い。そしてできるだけリスクのない、若いうちにやっておくほうが良いかもしれない。テニスをして、来週はゴルフといった調子を大人になって仕事で試していくのにはちょっと辛いだろう。自分という人間が、自分の考えんにフィットしているだろうか。問い続け、試し続ける価値は非常にあると思う。そしてあなたが何事かにフィットしている感覚を今日も感じられることを祈る。