Carpe Diem

Think good thought.

朝日

 

 どんなに自然に興味がない人でも夕日について話すことはできるだろう。朝日について話すよりは簡単だ。朝日について人が話すことがあるのは非常に稀な場合だ。たまたま起きてみた朝日がとっても綺麗だったとか。そもそも朝日を見られる時間に活動している人は少ない。そして、朝日を見るために起きたり移動したりする人はもっと少ない。年が変わって日の出を見るときぐらいしかそんなことをしないのではないか。ある年の初日の出がとても印象的でそれについて繰り返し語り続けることはあるだろうが、なんとなく見た朝日について長い期間語り続けることはあまりないだろう。それに比べて夕日はもっと身近なものだ。それでいて、だからこそかもしれないが特別なものにもなりうる。生きている間に一体何回の夕日を見て何回の朝日を見るのだろうか。その比率を比べたとして何かわかることはあるのか。自分の一週間を振り返ってみるだけでも簡単にわかる。7日間あって、何回朝日を見て何回夕日を見たかを思い出すだけ。多分、相当数の人が夕日ばかり見ていることになるだろう。見たくない人だって夕日を見てしまうことはたくさんあるのだから。

 自分も夕日ばかり見ている気がする。それでいて、朝日について記憶していることは二つある。もっとあるのだろうがとても印象的なものが二つ。一つ目は高校の頃。大会に勝つか負けるかで、次の年に朝練があるかないか決まった。朝練がない場合は快適でもないが通常通りの学生生活を送ることになる。ある場合は最低限でも一ヶ月朝練が行われる。5時台の電車に乗って毎日出て行く。休日は朝練がないのでもっとゆっくり起きることになる。一月に朝練がある。とっても寒い。寒すぎて体の調子が悪くなってしまうくらい。そして当たり前のことだが、道は暗い。空はまだ明るくないし夜のまま。夜に帰ってきて夜に出て行くような感じだ。制服を着て、最寄駅で降りて学校までの長い道のりを歩いて行く。その時何をしていたのかは覚えていない。音楽を聴いていたかもしれないし何も考えずに歩き続けていたのかもしれない。学校に近づいていくにつれ道が、自分の周りが明るくなってくる。そして素早く着替えを済ませてグラウンドに出て行く。朝練が始まる。毎日同じことの繰り返し。足は痛い。ボールが固すぎるし、時にグランドは凍っている。嘘ではなくて本当に凍っているのだ。表面がツルツルしていることもあるし固すぎてスパイクが刺さらないこともある。そしていつも覚えている朝日。練習が始まってすぐ、国道の方に朝日が顔を出す。日が昇る前からボールを蹴っているなんて何をしているんだろうと最初の頃はよく思ったものだった。それから毎日だいたい朝日が出てくる時間と場所がわかるようになる。太陽はものすごく明るい。朝日なんてこれまでに見たいと思うことは特になかったし今もそれほどない。けどその一ヶ月、朝日を見ざるを得なかった。それは宿命のように毎日やってきた。嫌いなわけではなかったけど朝日を繰り返し見る面白い経験ができたのは確かだ。冬ということもあってか、その朝日は、太陽はとても暖かかった。夏の清々しい、ちょっと肌寒い朝に感じる太陽の与えてくれるものとは全く異なる。その朝練は確か二年間行われたような気がする。前日の洗濯物なんて乾くわけはない。毎朝地面は凍っている。暗い空。それから朝日。あんなに朝日を見た期間はなかった。これからももうないかもしれない。その太陽は暖かかった。けど、大変だった。太陽は毎日同じことをしているだけ。自分も毎日早く起きてボールを蹴りにいくという同じことをしているだけ。けど、朝日は美しい。

 もう一つ。それはグランドキャニオンの朝日。わざわざ朝日を見に行くことは人生でも少ない。やはり初日の出ぐらいだ。特別な場所で初日の出を見たことはあるだろうか。あまり無い。いつも茨城のある場所で見ていた気がする。年を取ってからはわざわざ日の出を見に行こうなんていう気にもならなくなった。そして、これまで生まれて自分で意志を持って行動できるようになってからの初日の出なんて数えるほどしかない。その中で晴れていて家から出ていないと、ほとんどの場合は初日の出を見ることができない。これまで見られる可能性を持っていたのは何回で可能性が高かったのはどれくらいだろう。これだけ生きていてもきっと少ないのだろう。Grand Canyonの話。おそらく20歳にはなっていたと思う。前日に夕日を見に行った。その夕日芋ものすごくきれいだったと記憶している、けど、夕日よりは夕日によって色づいていく谷そのものが美しかったのだと思う。昼、晴天、幾つかの雲。最初に谷を見たときには本当に驚いた。どこまでも続いていく地形。山が、地上から隆起した地形が目の前に広がっているのは何度か目にしたことがある。それは全く違和感がないものだし当たり前のものだ。けどこのキャニオンは違う。へこんだというか入り組んだ地形がどこまでも続いている。変な感じだ。簡単に表現してしまうと偉大だった。なに感感じざるを得ない。そしてそこが真っ赤に染まっていく。それぞれの岩の形が強調される。陰影とでも言えばいいのか。とても美しかった。その夜は一泊して次の日の朝、朝日を見るために同じような場所に行った。そこで見た朝日は人生の中で最も美しいものだった。信じられないくらい美しかった。本当にそれを見る瞬間まで、美しいのは夕日だと信じきっていた。朝日を見に行く理由も価値もないと思っていた。けど、その朝日は最高だった。言葉にならないものを伝えてくれた。望んでいなかったのだが、期待以上のものを与えられた。朝日はものすごく明るかった。太陽の形がはっきりと見える。燃えている太陽。真っ赤というよりは黄金だ。周りに光が溢れている。気温は1度ほど。真っ暗だった世界が徐々に明るくなっていく。光の筋が岩の間に差し込んでいく。なんで朝日はこんなに美しいのだろう。本当に涙が溢れるほど美しかったし圧倒させられた。

 今、書きながらもう一つ思い出した。フィリピンのどこかの島から見ていた朝日。これもまた美しかった。やはり太陽だけではなくてその自分の目の前に広がる風景のすべてがうまく作用している。調和している。それは海から登っていく朝日だった。とっても黄色い太陽。海に筋が現れる。キラキラしていて見続けるのも難しいくらいに。夕日を見ている時もそうだけど、朝日を見ている人を見ているのは楽しい。素晴らしいライブに集まった人の顔を見るのと同じくらいに。幸せに溢れている人。驚きに溢れている顔。祈る人々。ここの船乗りたちは毎日こんなに美しい朝日を見ているのか、と今でも思う。その人たちにとっても、朝日とは常に美しくて感動を与えてくれるものなのだろうか。

 この文章は最初、夕日というタイトルで書き始めた。しかし結果としてずっと朝日について語り続けてしまった。そういうわけでもないのだけど、朝日は見たいと思った人にしか見られないのかもしれない。幸運に立ち会うまでにしばらく待たないといけないのかもしれない。なんとなく毎日を過ごしていても見える夕日とは異なる。朝日は、美しい。その美しさを知ったら夕日ももっと美しく見える。そこに関連はないのかもしれないが。あなたはこれまでに何回信じられないくらいの朝日を見ただろうか。朝日について語ることができるだろうか。

 

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