Carpe Diem

Think good thought.

個人への焦点の当て方

 

 まさにそう、個人への焦点の当て方の話。これに関しては今まで思い巡らせてきたことがある。そしてそれは自分だけではなかった。世間ではもう当たり前のことかもしれないし強烈な偏見なのかもしれない。個人への焦点の当て方は地域や文化によって大きく異なる。そしてそれをできれば形あるものとして体験したい。見たりすることでそれがよくわかるのではないか。やはり教科書や文章で出会うよりは映像、そして現地に行ったり自分の目で見たり話を聞いて雰囲気を感じてみた方が納得もいくし疑問もわいてくる。

 それはアメリカの首都での出来事。ある人を案内していた。その人が口にしたことは以前から自分も思っていたことだった。個人の銅像が多いよね。そうかもしれない。日本と比べて、また他の国と比べてどうなのかはわからない。けど少なくはないと思うしアメリカに来てから常々感じていたことではある。ホワイトハウスの周りにも誰かは記憶していないがたくさんの人の像がある。軍人だったような気がするが。そういえば、フィリピンにもあった。そしてこの前和歌山だっただろうか、ケマルアタチュルクの銅像があった。その国に、その国以外の人の銅像が建っているのは極めて特殊なことでもないが興味深いものの一つだ。だって南米を旅していて例えば西郷隆盛の銅像が出てきたら驚くでしょう。上野でも驚くのだから。

 個人に関する関心が高い文化なのだろうか。日本ではそのように感じたことはほとんどないしむしろ個人に対して過剰な関心は注いではいけないような気さえする。それがヒーローであれ悪者であれ。日本では個人の銅像なんかよりも仏像などをたくさん見る。牛久の大仏なんてものは本当の驚きをあなたに与えてくれるだろう。海外に、銅像となっている人にはそれぞれしっかりとした歴史がある。独立戦争で立派な活躍をした軍人。人権運動で歴史的な改革を行った人。誰もが認めるような成果を残した人たちが多いのではないか。その規模はまちまちだが。たとえ世界で知られていなくてもその街を作り出した名士はその土地にしっかりと刻まれ時が経とうとも彼/彼女の話は語り継がれていく。それにしても男性の銅像ばかり見てきた気がするのだが。そう言っても特に驚かないかもしれないが、もし世界にあるすべての銅像が女性だったらと一瞬考えてみると少し不思議な気分になる。そんな気分を普段女性は感じているのだろうかなんて考えてみたがそれはどうかわからない。

 何かを成した人。そうでなければ銅像にはなれないとする。かれら(they)は偶然であれ意図的であれチャンスを掴んだ人たちだ。大きな責任を負っていたのだろう。アメリカはチャンスがもたらせる国だとよく言われる。実際はどうかというのは置いておいて。そして、結果を残したものは社会的に非常に高い評価を受けることになる。彼が、彼女がそれをやったのだ、というところが最も大切なのである。チームスポーツも盛んなのだが、一人のエース、カリスマのような人の方が求められている。常にヒーローがいないといけないのだ。日本ではちょっと信じられないくらいに個人への焦点の当て方が異なる。所属よりもその人が人生で何を成したかというのが大切なのだ。わざわざ失敗した人の銅像を立てることはないが成功した人はしっかりと認める。そして評価する。対価があるというか世間に認められる。そしてそれを見た子供は自分もそうなりたいなあと思うことだろう。僕も、私もあの銅像の人のように何かを成し遂げるのだと。

 そして、例えば日本はどうだろう。集団があってこその個人というイメージがある。どこに所属していたあの人がこういう結果を残した。そして褒められるのは個人ではなくてその人を輩出した組織や環境であったりする。結果を出した本人でさえも謙遜することは少なくない。自分が褒められることなんて本当に恥ずかしいし運が良かっただけだと言い張る人もいるだろう。なぜだろう。個人に焦点が当てられること自体が少ないのか。そう思った。しかしながらそんなことはない。毎日ニュースを見ていても個人への焦点は強く当てられてる。それはとてもしつこいし影響力も大きい。そして時に銅像よりも大きな影響を記憶を人々に与える。そういえば、個人に焦点が当てられる機会は批判であることが多いのではないか。失敗があった時に、問題が生じたときには組織が先に出てくるのではなくて真っ先に個人が問題の原因となる。組織では、所属先では、集団では全力を尽くし問題を防ごうとしていたがたった一人の行いで全てが悪い方に行ってしまった。そんな時にはここぞとばかりに個人が焦点を当てる対象になりがちである。どちらかというと、その傾向が強いのではないだろうか。

 日本にある日本人の銅像で最も有名なのは誰だろうか。坂本龍馬だろうか。彼だって全ての人から認められる、もしくは賛同されるような人間とは簡単に言い切れない。日本という国に何かしら銅像というものがそもそもちょっとあっていないんじゃないかという気にもなってくる。確かに無理やり作る必要もない。そもそも、当たり障りない人なんかは銅像になり得ないだろう。

 ワシントンDCの大使館通りにガンディーの銅像がある。そこには有名な言葉が刻まれている。場所はアメリカ、そしてガンディー。この銅像はとっても有名だ。インドの首相が訪米した際に記念写真を撮っていた。当たり前のことなのだが。そして、リンカーンメモリアルが存在するしすぐ近くにはジェファソンメモリアル。そして、有名な場所にはI have a dreamと刻んであるし、マーティン・ルーサー・キングのこの上なく大きい像も聳え立っている。どこまでも個人に焦点が当てられている。けど、アメリカにいるときは別に違和感も覚えなかったしまったくやりすぎだと思わなかった。つくづく歴史というものを感じたしその銅像があることの意味は大きいな、忘れてはいけないなと思ったものだった。戦争で亡くなったベテランたちの名前が刻まれた壁もある。そして橋を渡ればアーリントン国立墓地。

 日本にはそのような場所が存在するのだろうか。あったら行ってみたい気もするが相当違和感を覚えるのではないか。特別有名な人であれ、そうでない人であれ日本にある銅像はよくわからないものが多い。単に知識不足なのだろうが。例えば桜が綺麗な場所の近くにある日本でもかなり有名な神社にも大きな銅像があるけど説明を読んでもその人のことはよくわからなかった。日本はとても長い歴史があると思う。期間比べてみても少なくともアメリカよりは長い。どうやらServe, Serviceの精神と関わりがあるのかもしれないとふと思った。中立というか多くの人に権利や好条件が行き渡るように、そう行動した人の数は文化によって異なるのかもしれない。

 個人への焦点の当て方。うまく行った時だけその人に注目する。褒めたて、褒賞や名誉を手に入れる。そして歴史に残り語り継がれる。失敗した後気にひどく個人に焦点を当てる。全ての責任を押し付け時には生命を絶つところまで追い詰める。個人よりも組織、所属に焦点を当てる文化。失敗して騒がれた人を見て、絶対あのようにはなりたくないと思う人もいれば立派な銅像を見てあの人を追い抜くような活躍をすると心に誓って生きていく人。どんな銅像が建っているかで実はいろんなことが見えてくるのかもしれない。と、ある人が言っていた。