Carpe Diem

Think good thought.

I forgot to….

 

 面白い表現はたくさんある。それを知ってどんどん見方が変わってくると出会う文章やあらゆる言葉が面白いものに変わってくる。これは本当で、世界が面白くなってくる。有名な、自分に同情するなという言葉も元があったのかということを知るのはとても気持ちがいいことの一つだ。何事もオリジナルは素晴らしいというわけではない。けど、オリジナルに近づいていくという行為は非常に価値があるしその過程で得られるものはほとんどの場合少なくはない。人間が、もしくは他の動物が記録というものを始めてから気が遠くなるほどの時間が流れている。簡単に言ってしまえば同じようなことが繰り返されているわけだし、文章でも、絵でもアイデアでもこの世に現れていないものはもうないんじゃないかというくらいに生産し、消費されている。しかも、日の目を見るものも見ないものもあるわけだから。オリジナルなんてもう存在しない、という言葉は非常におかしい。存在しなかったらオリジナルというものは何かという話になるわけだし。ユニークな視点が大事なのだろうか。全てのクリエーション、新しい発想と思われるものも既存のものの組み合わせでしかないとよく言われる。そうなのかもしれない。オリジナルにこだわっていてはどこにも行けなくなってしまうかもしれない、という考えも使い古されて困っているのかもしれない。

 I forgot to remember to forget you.という表現に最初に出会ったときは少し戸惑った。なんだこれはという印象。けど面白いなあと感じた。特別面白くないと思う人もたくさんいるのだろうけど、自分にとっては笑えるものであり考えさせられるものに十分なった。英語だけど日本語に直したらどうなるのだろうとすぐ思った。しかも響きもいい。リズムが良いからなおさら好きになったのかもしれない、そしてこの言葉は有名な曲のタイトルだ。相反する言葉をきれいに並べて奥行きを深くした感じ。そんなに哲学なんてないかもしれない。けど、どんな髭剃りにも哲学はあるらしい。そういうものなのだ。文章は作るという表現がちょっと似合わない気がする。文章を書く、作る。なんとなくではあるがしっくりこない。文章。それは客観的な言葉であり独立した名詞のような存在だ。ひっそりとしていて硬くて動かない。文章は自分でコントロールしようとするものだけど、そうもいかない。文字が、言葉がどこかわからないけど自分の中から出てくる。そして繋がっていく。だから自分で作っているという感じではない。体を通して、自分の指先を通して初めて目の前に現れる。それを書くとき、読むときに初めて自分もその文章と出会うわけで開けてみなければわからない玉手箱のようなものかもしれない。この作業に関して体はあくまでも一種の媒体でしかない。頭なのか心なのか、全身なのか、言葉はどこから出てきているのかはよく知らないし今この文章を書くまでそんなことを疑ったことすらなかった。面白い。

 プロ野球選手について考えていたときにはっと思ったことがある。彼らは本当に体が資本なのだ。自分の体であれ能力であれ、信じることは本当に難しいし簡単ではないと思った。実際簡単な場合もあるが。自分の投げたボールが、打ったボールが特定の場所に届くなんて保証はいつでもない。これまでに一度もなかっただろうしこれからも一度もないだろう。そんな当たり前のことに気づいたのだ。それでいて接触プレーもあるわけだからいつ怪我するかわからない。これはものすごいことなのではないかと思う。けど、他の人も同じだと思った。頭脳でもスキルでも、この世に保証されているものなんてほとんどなくて保証されていないことぐらいしか保証されていないかもしれない。だから、今自分が持っているものは実際に持っているようで持っていないものと言えるかもしれない。世界中の人に読まれて共感されるような最大大公約数を持つ小説を一度かけた人が同じような作品を生み出せるとは限らない。なんとなくコツや雰囲気を覚えることはできるのだが、どうしようもない運のようなものも絡んでいるのだろう。そのようにどうしようもないことを人は運と読んだりするがしっかり定義を見直してしまうと、ほとんどがその運と呼ばれるものではないかと思ってしまう。

 日本語でいつも聞く有名な表現も単なる外国語の役だったのかと知った時には少しがっかりしたこともあった。It’s a small world.けど、いつだってオリジナルは存在するはずだ。本当の愛はTrue LoveなのかReal Loveなのか。それぞれの答えがあるときはしっかりそれぞれに意味がある。自分にとって何が大切かを考えて、それがオリジナルではないとしても意味を求めていくこと。そうすると何か面白いものが見つかる。そして自分が面白いと感じたものには、ほとんどオリジナルに向けての素敵なストーリーが準備されている。素敵な言葉にこれからも出会えますように。何回呼んでも難解だと言われませんように。