Carpe Diem

Think good thought.

わたしの失敗であなたは満足するのか

 

 いろんな人がいる。自分と考えが似ている人、似ていない人。理解しようと思う人もいればこの人のことなんて理解したくないと思うことも。そして意思に関わらず理解できることと理解できないことも存在する。

 いろんな人と話をしているとその人の特徴が見えてくる。自分の特徴が分かってくるのと同じくらい。話を聞いて欲しい人は多いと思う。そして実際にそれを言葉や態度であらわす人もいる。なんで人は話をするのだろうか。なんて考え出すと難しい気もするが案外単純なのかもしれない。ある時は話すこと自体を求めている。そしてある時は、話すことは手段でしかなくてそれによって人を動かすこと、自分の思い通りに事を進ませるのがゴールであることがある。それもわかりやすいのとわかりにくいのがあるので厄介だ。けど、ゴールがそもそもわかっていたら話し合う理由もそんなになくなってしまうのではないか。

 話をとにかく聞いて欲しいという人がいる。今の自分の状況をまくしたてる。相手は聴き続けるだけ。聞くことに意味がある。話せているだけで楽になるという人もいるがそれは本当に一方的な考え方だと思う。その状況を受け入れてくれという表現が会話の中でたくさん出てくる。あたかも自分は悲劇のヒーロー、ヒロインであるかのように。あなたが聞いてくれるから助かるのよ。いろんな言葉を重ねてとにかく自分が話し続けるという状況を保つ。そんな人がいると思う。昔も自分はそんな気持ちがわかった。いろんなことに混乱していた。どうしても人に話したい気持ちにもなった(気がした)。そして、話しているうちに気持ちが楽になったことも少なくなかった。けど今はそんなことは思わない。相手に迷惑をかけているのではないかと思う。そういう話をする場合、ほとんど相手は誰でもいいのだと思う。話す内容や自分のことの方が大切で、それを吐き出すことこそが目標なのだ、ほとんどの場合。仕事のこと、家庭のこと、自分の事。聴いてほしいというよりは自分が話してみたいだけ。話してしまいたいだけ。というか、閉まっておけない。そういう種類の人は少なくない。そういうことの方が重要だから、相手は実際は誰でもいいのだ。それにもかかわらずその人たちは、あなただから話せるのだなどといってくる。気を使っているのか自分を慰めているのかはわからないけど。誰かに話している、聞いてもらっていると思える環境を作り出すことがその人たちにとってのゴールなのかもしれない。

 話だけではない。聴いてもらいだけでは済まないこともある。相手、もしくは他人に対して非常に多くのものを求める人は非常に多い。そしてその人たちにとってそれはごく自然なことである。人に対して何かを要求することに何も疑問を感じない。責任も感じなければ相手の環境も考慮しないこともしばしば。例えば、相手に失敗して欲しいと願う人。自分がうまくいかないから相手にもその気持ちを味わってほしい。そういう人もいる。しかしながら自分のことなんかどうでもよくてとにかく相手や他人の不幸や失敗を見て喜ぶという人もいる。不思議と言ったら不思議なのだけど世の中いろんな人がいるものだ。自分に同情する。どうしてこれほどの努力が報われないのか。そもそも自分はスタート地点に立つまでにこれほどの困難を乗り越えなければならないのか。想像力が豊かなのかはよくわからない。妄想というか、ある種の人はある種の方向に関して非常に想像力が豊かである。その分かけているものも大きい分野が存在するのだが。

 けど、昔から思う。そして最近強く思う。人のものでそんなに満足できるのだろうか。ある種の人間は深みが決定的に欠けていると言われる。それの一部なのかもしれない。人の不幸を望む人。それを自分のものと重ね合わせることで安心する人。わたしの失敗で、あなたは本当に満足するのだろうか。これは本当に疑問だ。理解しようとも思わないし今後もしないと思う。けど、そのような感情を持つ人がいることは認識している。そもそも、わたしの失敗はあなたにどんな影響をもたらすのだろうか。いくら社会があって人と人が繋がっていようとも基本的に営まれているのは個人の生活だ。自分の成功も失敗も他人には関係がない。失敗であるか、成功であるかですらもはやどうでもいいことであり自分でしっかり決められるし他人に決められたことにどれほどの意味があるというのだろうか。ましてや、会ったことのない直接関係のない人のことまでも。よくそこまで気にしている暇と意欲があると思う。ある意味優れているというか何か長けているものが存在するのだろう。知らない人の成功や失敗、特に負の部分に喜ぶ。相手に共感を求める。他人が不幸になっていくことを願っているのかもしれない。けどそれは何一つあなたを幸せにしない。わたしの失敗で、あなたは本当に満足するのだろうか。