Carpe Diem

Think good thought.

習慣と介入

 

 習慣と介入と。いつも同じことを繰り返してしまう。しょうがないこと、自分にはどうしようもできないこと、自分で管理するべきこと。いろんなことが世の中にはある。自分で決めることと人から決められること。

 いつも、熱が出る。大人になってからは熱が出ても動ける範囲が広がった。子供の頃は熱が出たら二三日は寝続けなければいけなかった。それ以外にすることはなかったしできることはなかった。そして、寝ている間に何かができるほど趣味も興味も体力もなかっただろうし、テクノロジーだって発達していなかった。それが大人になるにつれ、体が大きくなるにつれ変わってきた。少なくとも、熱が出ても何かをできるようにはなった。今でも定期的に熱が出る。習慣には良いものもあれば好ましくないものがある。自分で根気よく続けなければいけないものもあるし、どうしようもなく毎回やってきてしまうものもある。熱について。今回も久しぶりに熱が出た。久しぶりにと言っても実は前の熱から二ヶ月ほどしか経っていないかもしれない。少なくとも三ヶ月に一回は高熱が出る。重症というほどでもないが、決して楽なものはない。そしてその二回に一回はインフルエンザかと疑うほどのもの。季節に関係なく、症状はインフルエンザのものと全く変わらない。診断の結果が違うと言っているだけだ。その兆候はよくわかる。喉からやってくる。一日目は熱が上がらない。喉がとっても痛くて食べ物も通らなくなる。だいたい朝起きた時にこれを感じるし、そうなった場合には確実に熱が出る、間違いない。そして二日目から長ければ四日目がピークとなる。熱は確実に38度に達する。丸一日は動けないほどになる。頭が重すぎるし読書をしようとしても何も入ってこない。文章を書くことができない。どんなに緊急な仕事があっても、義務があっても対応できなくなってしまう。生きることが最も大切だということもできるし、何にもできないほど体が弱っているとも言える。喉の痛みは比較的早く消えるが熱はしばらく下がらない。今思い出したが一ヶ月以上熱が続いたこともあった。今回は比較的早く回復しそうだがこれでも四日から五日は何もできないままだ。病人といわれる状態になる。こんなことを二三ヶ月に一回繰り返している。そんな時にできることは寝ること。その間にとことん英語を聞きまくる、もしくは映画を見るくらいしかできない。少し回復したらやっと机に向かうことができる。

 こんな話をしたら、しっかり体調管理をしろといわれる。確かに甘いかもしれない。しかしながら、毎日しっかりとした習慣があって、10人がいたとしてもその中で最も規則正しく運動をしているのは自分だと思う。食べるものだって気にしている。だから、自分からしたら、これはどうしようもないことなのだ。もちろん何かしらの原因はあるはず。それに対して自分でもいくらか調べたり対策もしている。少なくともわざわざ病気になろうとは思っていないし、積極的に質の悪い生活はしていない。むしろ逆なのだ。規則正しく健康な毎日を送っているにもかかわらずに、頼んでもいないのに向こうからやってくるもの。バカにされるし、理解されないかもしれないが、どうしようもないことの一つなのだ。そしてそれが自分の場合、たまたま熱が出るということ。非常に困ることだし影響も大きいのだけど、仕方ない。これも習慣の一つだと思っている。だから、それ自体をどうこうしようというのではなくて、それが起こったときにどうやって少しでもうまく付き合っていくかが肝心だと思っている。ある人が毎日日記を書いていたとしてもそれは社会になんの影響ももたらさないし、個人的なものだ。それと同じで、(しかしながら、社会に影響はあるかもしれないが)自分の場合は定期的に高熱が出て動けなくなるだけだ。個人的なこと。

 そういう種類のこと、望んでもいないのにやってくるものに対しては当事者以外の理解や支援も必要だと思う。というか、あったほうがより生きやすい人は増えると思う。その立場にならないとわからないことも多いのが難点だが。けど、そういうことは世の中にもたくさんあるのでそれは知っておく必要があるだろう。望む、望まないに関わらずに起きるものがあるということ。個人的なものと社会的なものはあるけど、その両者の折り合いが常にうまくつくとは限らないこと。そう意識すること、知ることだけでも何かは大きく変わっていく。もちろん、甘えもあるだろう。そして改善されるべきは改善されるべきだとは認識している。

 習慣は大切だが、自分で死ぬ気になって維持しているものもあれば、どうしようもなくやってくることもある。いつか聞いて納得し大事な言葉となっているものがある。相手を尊重することはとても大切なことだ。しかしながら、それと同じくらい自分のことに他人を介入させないことも大事だ。後者を忘れがちではないが。後者も意識することで変わるものは大きい。