Carpe Diem

Think good thought.

本質:エッセンス

 

 物事の最中でも出来るだけ思いついたことはメモするようにしている。昔はそのようなことをしなかった。そんなに重要なことがなかったのかもしれない。そんなに迷っていなかった。選択はもっと容易だったし、押し流される程の量の情報も考えも存在しなかった。もしくはあったとしても気づいていなかったし、そのときの自分には必要なかったと思う。

 思考を整理していくことは重要であると私は考える。世間一般の人はどうかわからない。体系的にというか、分類したり整理したりする。一度何か物事が起こった時に自分はどう対応したのか。これからどうするべきかを考える時に用いる。一度まとめておくと役に立つし、役立てようと常に思っているし、効果も知っている。常に、自分の言葉で言えば本質をつかもうとしている。本質という言葉も自分で選択したがそれしか思いつかない。ポイントを、エッセンスを抜き出す。それこそが、そして抜き出されたものが本質である。エッセンスと本質は、同じ言葉であるけど日本語と英語であるように少し意味が異なるような気がする。完全に同じではないような。

 迷った時に行かすためだけではない。人生そんなに迷っている訳ではない。迷っている暇がある奴は何もしていないと言われるかもしれない。主体的に選択するときも参考にする。どんな状況においても頼れるものは、自分の経験でしかない。自分の考えも経験も同じで、つまりはこれまでの人生で得たエッセンスのこと。それは受動的に生きていても得られるものだろう。それを最近になっては主体的に獲得して活かしていこうと思ったのだ。捉え方が変わったかもしれないが。それを学びと言ったり他の言葉で言い換えたりすることも出来る。

 迷った時、困った時に選択が重要とされるがそうでもない気もする。常に考え事をしたり無意識に選択したりもしている。一日に何万回もの考えが人の頭をよぎると言う。ポジティブなこと、ネガティブなこと、果てしない妄想から現実的で緊急の問題まで。しかしながら、感じ方だって相当主体的なものであるはず。問題が起きていることを認めろと他人から言われるかもしれないが、認めなくたっていいのかもしれない。自分で出来ることと出来ないこと。この話になるときりがなくなるとも思うが、出来ることはあると思う。もちろん常にあらゆるものの影響は受けている。天気を操作できないように、人生のある部分は向こうからやってくるばかりで自分で反応したり対応したりしていくしかないときもある。けどすべてがそういう訳ではない。右に行くか、左に行くか。ご飯を食べるかパンを食べるか。細かいものでも自分で決めていくことは出来る。そして、ある種の物事は自分しか決める人がいない場合がある。誰にも頼まれないこと、待っていては起こらない出来事。そんなことがいくつもあって自分でしっかり(妥協してでも)やらねば行けない時が来る。どこまでが仕方ないことか、どこから自分で意識して選択しているかを調べてみることだって容易ではない。自分でメモをつけていくにしていちいち判断しなければならないから。だから、主体的な部分、自分で考えたり判断したり選択する場面は生きている上で案外多いんじゃないかと思う。そして、パンの選択にしろ進路や就職の選択にしろ一つの分岐点に過ぎない。ただの二択。それに対して自分で勝手に緊急性や重要性を設定している。そして、感情も自分でコントロールできるにもかかわらず、大きなもの(と感じているもの)に対しては動揺したりしている。不思議なものだ。

 だから、些細な判断も、大きな判断もとっても主観的なものでそれぞれには大きな差はないのかもしれない。どう対処するか、どういう感情で望むのかもしっかりと意識して対処できる。容易な言葉で言えばコントロールできると思える気もする。普通に考えれば、というか一般的と言われるやり方だと就職や進路のことについてはしっかり考える。つまり時間を書けるし人に相談したりする。けど、パンかご飯かに関しては時間もかけず自分で決めること。と、なっている気もするがそれすらも実際自分で決めることだしそれが逆になったって全く問題はない。少なくとも自分の中では。社会の中では摩擦が生じるかもしれないが。

 学んだこと、得た経験、そこから引き出したエッセンスをどこにどうやっていかすのか。そこから考えていかなければ行けないのかもしれない。あらゆる物事はシンプルではない。そうあるべきだとしてもそうなってはいないことが多い。複雑なものを解いていくために本質というものを用いる。多くの経験から少しずつを絞り出していく。それは気の遠くなるような作業で毎回の収穫はとても少ない。それを時間をかけて集めていきまた複雑なものをほぐしてく。そんな営みにもっと焦点を当て、今日もエッセンスを吸収していく。何をどのように捉えてどのようにそれに対して挑んでいくのか。