Carpe Diem

Think good thought.

(総合)芸術

 

 芸術について思うところを色々と書いてみる。芸術は凄いと思う。そして自分にとってとても大切なものだ。最初から最終目標を書くのはおかしいかもしれないが、いつかは自分も総合的な芸術に触れてみたいと思う。それは自分で作り出したいということなのか。それともそのきっかけを作ったり携わることで満足できるのだろうか。芸術を鑑賞するのはとても素晴らしいことだと思う。消費しているというのが適切かもしれないが。しかしながら、このような言葉もある。「観客席からでは勝者は愚か、敗者にもなることが出来ない。」確かにそうだ。

 総合芸術。それは目標だ。何方かと言えばそれに近づいていけば行く程個人としても満足するだろうし多くの人と多くのものを共有できるのではないかと思っている。

 まず、芸術とは何か。文化と同じくらい複雑な言葉だとは聞いている。ここでは辞書の知識とか世間の常識ではなくて自分が知っていて信じていることを素直に書いてみようと思う。芸術はアートだ。アートと芸術はそのままイコールになるかはわからない。そもそも日本語と英語なので仕方がない。その言葉がもたらす余白があるからこそ芸術も素晴らしいと言えるだろう。アーティストと芸術家。似ているようで違うのかもしれない。芸術というのはつまり何か、何を含めて何を含めないのか。本、文章、音楽、映像、デザイン、ファッション、何でも含まれてしまう気がする。むしろ芸術という言葉でカバーできないものを探す方が難しいのではないか。一番身近と言うか、芸術と聞いてすぐに頭に浮かんでくるものは例えば絵、音楽、文章、映像である。もう少し言い方を変えると、本であったりアルバムであったり映画であるかもしれない。それらはとても身近だと思う。すべてを含んで演劇というものもある。ショーと言ってもいいしパフォーマンスと書いた方が的確だろうか。

 それらと少し特徴の異なるアートがある。昔こんな言葉を読んである謎が解けた。納得したと言うかそういう解釈もあるなと思って少し気に入ったと言うかすっきりしたのを覚えている。「本当に芸術(活動、つまりはアートを志す)をしたいなら、ギリシャに行け」と。アートというものが誕生してから反映した背景には奴隷制度があったというような文章だった。つまりあらゆる発見や娯楽は、誰かが汗を流して自分の時間を誰かのために提供しているからこそ成り立ったというもの。自分の世話や身の回りのことをしない裕福な人、もし久那暇な人たちが奴隷や手伝いの協力と言うか仕事、作業のおかげであらゆるものを生み出すチャンスを得たと。もしくはそれらは暇つぶしに過ぎなかったかもしれないが。すべてが正しくはないが、特に歴史の初期段階においてこのような構造が見られたことは確かであろう。だから、そのような環境の元で生まれたものであれば何でもという訳ではないが基本的にアートと呼ばれうるのだと認識した。確かに、食べるのに精一杯だったら発明や発見はあるかもしれないが余分なもの(食や生活に直結しないもの)は生み出しにくいだろう。そして、あの有名な人のように戦争中に計算をしていて死ぬなんて言う人はいなかっただろう。やはりこの考えは否定できなくて、この時やっぱり数学や算数もアートなのだと理解した。それまでは全く関係ないと思っていたが、余裕がなければできなかった発明や発見を考えてみると本当にあらゆるものはアートなのだ。そして暇な芸術家たちは自分たちの奴隷の生活を物語にしてお金や楽しみ、悲しみを生み出すことが出来る。計算もアートなのだ。

 自分が凄いと感心するのはあらゆるものが繋がっている芸術だ。それを個人的には総合芸術と言っている。具体的な例をあげるのは難しい。まず、文章を書く。それだけでも芸術になる。しかしその内容に他の芸術が含まれる。ある作家の障害、ある音楽家の生涯に関する本。親交があった人々はいろんな芸術活動を行っていた。そしてどのように音楽や文章が生み出されたのか、歴史が生み出されたかについての細かい記載がある。とても音楽的な文章で流れが良く景色が頭に自然と浮かんでくる。そのような話を、舞台で表現する人が出てくる。芸術を様々なものに昇華し続ける人だ。役者もいるし、舞台監督もいる。音楽の担当も。そしてその文章を元にしたものに音楽や動きが加えられ舞台で人によって表現がなされる。それをまた映画として味付けする。音楽、本、映画、舞台。これらは繋がっている。一つ一つの中にそれぞれの要素が入っているし、切っても切り話せない。ポイントは「重層的」なこと。たくさんの繋がりがあって、見る方もたくさんの読み方が出来ること。それでいてシンプルなのだ。繋がりが多い。それを表面に出そうとも出さなくともわかる人にはわかる。いろんな最小、最大公約数が含まれており、世界中の人とあらゆる感覚を共有できる。そういうものを総合芸術というのではないだろうが。絵も音楽も数学も何でも組み合わせて、如何に人の心の中にある細かい部分に刺激を与えられるか、それが芸術ではないか。