Carpe Diem

Think good thought.

入口と出口

 

 昔から疑問に思っていることがある。入口があるものには必ず出口があるのか。入口だけだったらどうなってしまうのか。出口がなくとも広大なスペースがあればそれを保っておくことが出来るかもしれない。出口がなくても限られた量にコントロールしていけば出口など気にしなくていいし、それがある種の出口とも呼べる。けど、出口もないしもの自体の大きさを変えることも出来ないし、収用するスペースも変えられないとしたらどうなるのだろう。どこかでシステムが壊れてしまったように動かなくなるのか。それとも空気を入れ続けた風船のようにどこかで急に破裂してしまうのか。入口と出口は他の言葉にも言い換えることができる。雨が降ったらその水はどこかへ流れていく。湖にたまるかもしれない。地面を、斜面を流れて川に入り、大きな海に流れていくのが普通だろうか。もし、降ってきた雨に行き場が無くなってしまったら。

 入口は比較的気づきやすい。少なくとも振り返ってみればわかるだろう。新しいことを始めるにしても何かしらきっかけがあったはず。自分で積極的にそれを求めた場合。嫌々ながらも友人に連れて行かれた。いろんなパターンがあるが入口を通り越してしまったことは後から振り返ってみればわかる。ほとんどの場合はその入口に立っていることも、通過していることも気づくことが出来る。けど、出口はそうでもない。回答は一つでない。正確なデータを入力しないと、十分なデータを入力しないといつまでも答えが出てこない。そんなに単純なことばかりでもない。複合的な判断が必要とされる。そして、前例のないものに挑んでいかなくては行けないときもある。経済でも恋愛でも法律でも。出口はあるときは、つくられなければならないものとなる。それは本来誰でも行うことが出来るはずである。しかしながら容易でない。安易に出口にたどり着けることは少ないし運がないと難しいかもしれない。訳の分からないようなこと、誰もが挑戦しようとしない難題、日常の小さな不便、誰もが悩むであろうありふれた問題もそれを認めて根気よく対処し続けることによってしか出口は見えてこない。途中で何となく諦めたりすることももちろん出来る。その人たちにとってはそこが出口になる訳だがしっかりと解決しないと後々同じ問題に出会ったり感情がスッキリいないままであることも多い。当たり前であるかもしれないがあらゆるものは複雑に結びついている。それをシンプルにほどいていったり、誰も通っていな道を自分で進んでいく人たちがリーダーと呼ばれる人たちなのだろう。誰もがリーダーになりうるが、資格は持っているし素質もあるが、簡単になれる訳ではない。出口は自分ので得られるのかもしれない。自分で設定するものが出口なのかもしれない。そしてそれは、自分の大きさと同じなのかもしれない。

 昔から疑問に思っていることがある。人は悩みを自分だけで抱えていくことに関して抵抗があるのではないか。自分だけで抱え込むことなんて不可能ではないかとも思ったこともある。強い人、弱い人、そんな簡単な表現ではなくて。子どもの頃や自分が悩んでいるときは他人に相談を良くするのが一般的であろう。友人か、恋人か、家族か。距離の近い人が支えとなってくれる。何から何まで話せば誰かが同情してくれたり興味を持ってくれたり、いい場合には建設的な提案をして協力だってしてくれるだろう。そうでない場合ももちろん少なくないが。問題に真っ直ぐ向き合って解決を目指そうとする人もいれば自分の環境にする意見や感想、心情(言い方によっては愚痴)をばらまきたい、それを人に聞いてほしいだけの人もいる。

 自分で考える量は年齢や経験が増えるにつれて増えていくのではないだろうか。他人に相談すること自体の意味を考えるだろうし、相手も暇じゃない。機会や手間を考えたり、これまでの失敗からも学ぶ。うまく行かないことにたくさん触れたり成功経験も得る。わからないことばかりだと気づいて自分でやっていくこと、自分で答えや出口を見つける方がやりやすいと気づくかもしれない。もちろんすべてを一人で行うということは基本的にあり得ないが。いわゆる依存から独立のプロセスにも似ている。

 しかしながら、どうしても支えが必要な種類の人はいる。話しを聞く事だけではなくて、肉体的な支援かもしれない。そこでも思う。社会はとってもうまく機能している。しかし、支え続ける人はどこにその苦労や疑問、あらゆる種類のものを持っていくのか、解消するのだろうか。相談する人は聞いてもらうことにより満足する。相談を受けた人はどんなにいい人でも多少の疲れや(ある場合には満足や学習も)何かしらたまるものがあると思う。それをどこへ持っていくのか。入口と出口は常に等しいのか。ある人はどんな苦境を持ちからに変えていくことが出来ると言われている。しかし一方で、話しを聞いてくれず出口が見つけられなかった人が自殺するということもある。入口と出口はどう繋がっているのか。