Carpe Diem

Think good thought.

時間の有限性

 

 いろんな話を聞いて、知って学んで、自分で生きてみて毎日いろんなことを感じる。言葉にしないでもいい、する必要がないような当たり前のことは本当にありふれている。その中に大切なものはとても多い。個人的な時間に対する感覚は常に変化している。時間に対して意識するようになったし、せざるをえなくなったような経験があったのかもしれない。

 ある小説家の話。普通の人は、普通じゃなくてもほとんどは自分が見る夢の長さを調節することは出来ない。一般的に寝ている間に見る夢のこと。それはそうだろうという気がするし出来るなら長い夢を見たいかと問われてもうまく答えられない。夢は本当にコントロールできない。けど実際、コントロールしようと思ったこともない。いいところで終わったり、良くないで終わったりする。一年後も覚えている夢もあれば10秒で忘れるものもある。そして、繰り返し見る悪夢のようなものも。そしてある小説家の話。彼が言うには小説を書くのは夢の続きを見るようなもの。ある種意図的なものと言えるし、自分でコントロールできないものとも言っていたような気がする。夢を見る、見ているという状態に入っていって、出て行くタイミングを決められるというようなもの。その夢の内容はその時々で変わるし自分でコントロールできないから楽しいようなところもあるらしい。あくまでも内容をコントロールして自分の好きな夢を見るようにしている訳ではないらしい。もちろんある程度は出来るだろうが。その状態の中ででてくる言葉を待つ。けど実際、内容をコントロールできたらそれは夢ではないし主体的な想像になってしまうような気もする。だから、現実に、朝が来て起きてから夢を見る状態に入っていくというのとても面白いことだと思う。

 今は秋。多分誰でも今は秋と認められる程秋になったと思う。感覚と言えば感覚の問題でもある。キンモクセイの香りが来たら、もう夏に戻ることは出来ない。コスモスの花が美しく咲き乱れている。そして毎年コスモスの花言葉を思い出そうとする。それは避けられないものなのだ。結局何年も覚えられずまた調べることになる。銀杏が黄色くなり始めたら神宮の外苑に行かなければなあと、勝手に呼ばれているような気がしてくるのも秋になった証拠だ。その頃にはもう、冬が近づいているのかもしれない。9月が過ぎて10月になると、日が短くなってくる。気温もだんだん下がってきて気持ち異様な寒いような、コントロールできそうで出来ない日が続く。台風が来ているうちはまだ、秋と呼べるかもしれない。そして一旦夏が過ぎれば、秋がやってきて冬になる。自分が知っている限りではその逆はない。秋が来て夏が来て、冬がくるという話しは聞いたことがない。書くことは出来るかもしれないが。過ぎたものはもう、もどってこない。

 朝と夜の時間の関係はとても絶妙だと思う。夜になったら次は朝になる。この時期はどっちが長いだろうか。夜になるとすぐ朝がやってくる。ある時は朝が待ち遠しくてしょうがないし、またあるときは夜の短さに怒りを覚えることも。とにかくそれはしっかりと交互に訪れる。しっかりとバランスを取って。

 白夜について知らない人は少ないだろう。けど実際、それを体験と言うか、日が中々沈まない環境で生活をしたことがある人は少ないのではないだろうか。そこで暮らす人たちに取ってそれはまぎれもなく自然なことで、ひょっとしたら他の時間の流れがある事を知らないのかもしれない。日本に四季があることが当たり前で、朝と夜の割合は季節に従ってゆっくり変化していくということを。季節も同じ。四つ季節があると思っている人。四つしか季節がないと思っている人がそれらを疑いのない当たり前の事実だと思っているように、一つしか季節がないことが常識の人もいる。そして、自分の常識以外の環境で暮らしたことがある人は少ない。

 朝があって夜がある。春、夏、秋、冬。それぞれの季節にそれぞれの花が咲く。そして枯れる。新たな命。いろんなものが絶えず変化していく。食べ物も飲み物も、着る服も出会う人も変わる。天気も変わる。明日台風がくるなら、今日のうちにコスモスを見ておかないと又一年待たないといけないのかもしれない。それと同じように、一年経っても何も変化しない環境もある。そうだとしたら、一年を区切る意味があるのかとすら思ってしまう。「去年の秋」がない人生というのはどういうものなのだろうか。季節が三つだったら、あるいは五つなら。

 あらゆる有限性は自分を前に一歩押し出してくれる気がする。一歩どころではないかもしれない。季節は、時間は流れていったら帰ってこない。それでいてしっかり流れ続けている。

 ポイントはコントロール出来るか出来ないかと、有限性。生があって死がある。時間がしっかりと流れているように。それも常識だけど、いつか常識ではなくなるかもしれない。その時に、一歩進みだすきっかけを何からもらえばいいのだろうか。