Carpe Diem

Think good thought.

映画の脚本

 

 映画の脚本については正直言って良く知らない。それが何をさすのか正確には理解していない。だから映画の脚本らしいものについて書く。

 映画は昔よく見た。二、三年前に最も見ていたかもしれない。よく海外の女優の名前が複雑で長過ぎて覚えられないという人が部活には一人や二人はいたと思う。自分はその逆というか、そういうものには抵抗がなくてむしろ覚えている方だった。そして、洋画しか見ない、ほとんど。邦画は特別なことがない限り観に行かないしあまり記憶にない。ジブリが最も見たことがある種類の邦画というか日本に関わるアニメーションなのかもしれない。

 映画がどのように作られているのかは正直わからない。

 最近また映画を見始めた。昔は一年間に200本程洋画を見ていた。多くの人との会話を繋いでくれる重要なものであった。一つ一つのタイトルと感想をそれぞれ手帳にメモしていたものだ。いまでは文章にして書き起こしている。過去の映画はほとんど忘れてしまったような気もするが何となく覚えていることはたくさんある。

 小説もそうだが、数が増えてくるに従って繋がりが見えてくる。同じ作者で縛ってみたり、同じジャンルもしくは同じ俳優だけの作品を見たりすることでいろんな繋がりがわかる。それは世間の誰もが知っていることかもしれないしもの凄く個人的なものかもしれない。監督と俳優の関係も面白い。

 映画の脚本というものがあるらしい。それを見るだけで映画を自分の中で再生することが出来る人がいるらしい。実際にいるのだ。そして実際に映画を見てから自分の想像の方が良かったと思うことがあるらしい。自分にはそんなことは出来ない。よく小説が元になった作品がある。うまく表現できていると感心することがあれば個人的にひどく納得いかないこともある。けど、グレートギャツビーを映画化しようとすること自体凄いのではないかと思ったが、世の中には映像化しないと気が済まない人もいるのだろう。

 脚本と聞いていつも思い出すのはNYのsohoで道沿いに売っている映画の脚本、台本みたいなものだ。あれは忘れられない。有名な映画。台本なようなものだけど、あんなに厚いのかと驚いた。それがこれまで映画化されたすべての作品の数だけ存在すると考えたら圧倒させられたというか想像しただけで疲れた。読むだけで、映像のイメージをする力は残っていないと思う。けど面白いことに、映画はその作品だけが主に評価の対象と成る。スクリーンの上の二時間程度のものにすべてがつめられているのだ。