Carpe Diem

Think good thought.

いろんな人、価値と感覚

 

 同じ景色を見ていても感動する人としない人がいる。綺麗な空を見ていても、隣の人には当たり前の景色にしか映らないのかもしれない。もしくは注意を払うに値しない程度のものでしかないのかもしれない。価値というよりは感覚の問題か。いろんな人がいる。いろんなバックグラウンドで育ってきた。だからこそいろんな価値観が生まれるのだろうか。いろんな価値観があってそれぞれが違うからいろんな人と分類されるのだろうか。どちらでも良い。

 価値や感覚は人それぞれ異なる。それを自分の人生と、そして他人や社会とどう結びつけていくかも人それぞれだ。

 例えば、空の写真を美しく撮れる(と自分では思っている)人がいる。旅行中もそうだし、日常の何気ないときに取った空。彼は写真を撮るのが大好きであるし、美しいものを見たら写真を撮らずにはいられない種類の人間である。朝焼けの静かで活力に満ちあふれている空。夕暮れの燃えるような赤い空。昼間の真っ青な空と白い雲のコントラスト。夕方に近づき青と水色と白と赤が混ざり始めた何ともいえない空。誰に頼まれる訳でもなく彼はその写真を撮り続けていた。そしてそれを、出来れば彼の最も大切な人と共有したいと思った。自分が見た景色を恋人や家族と共有しておきたいという強い気持ちから。

 彼はその写真を家に帰って家族に見せることを楽しみにしていた。たとえ家族が喜ばなかったり反応が良くなかったりしても自分でいつの日かその写真を見返して楽しむのであった。ある日ふと、彼はそれをSNS上に展開してみた。自分だけで楽しむにはもったいないのではないかと思って。あらゆる影響は考えず、誰かが楽しんでくれたらよいなという気持ちで。それが、彼の撮った写真がいつの日か多くの人に支持されるようになる。結局はマネタイズに成功し彼は写真で、その空の写真でお金を得られるようになった。しかしながら、多くの人に支持されるようになって楽しみ方が変わってきた。彼個人の感覚も、人に見られるという意識の影響は避けられなくなり、以前とはもう同じと言えなくなっていた。多くの人に支持されるようになった結果、多くの人に指示されているような感覚に陥ったからだ。

 単純に景色を楽しみたい人、それをビジネスに繋げたい人、個人の楽しみ、他者との共有。様々な価値観と感覚を持った人が社会では暮らしている訳で、そもそもその空の写真は誰に撮ってどのように美しかったのか。