Carpe Diem

Think good thought.

日常は非日常から

 

 動物園を歩いていて思った。非日常。マダガスカルにわざわざ動物を観に行くことはないだろう。思っていくことはないだろう。動物園という場所に行くこと自体が日常の中で考えたら特殊なことなのだと思う。一年で二カ所行くともして、2日間行くとしても365日の内の2でしかない。

 毎日同じことを繰り返して生きていく。それに満足を感じる人もいる。退屈に思う人もいるし疑問すら感じない人もいる。

 そこで思った。日常の始まりはすべて非日常であるということ。正しくないかもしれないがほとんどのことにいえると思う。何気ない毎日、永遠に繰り返されるような毎日を作り出したきっかけは非日常なのだと。普段しないようなことがあって、それをきっかけにまた長いサイクルが始まっていく。常にそういう変化のポイントがある。あるいはそういう機会やそのときのことを変化というのかもしれない。

 本当に、日常のできごとはある時の特殊なこと、つまり非日常の出来事からつくられているのだ。例はいくらでもあげられるし、些細なことであってもそれ以外のものを見つけるのは難しいぐらいだ。

 だから、普段と違うなと思ったときは恐れる必要はないと思った。しかしながら変化を恐れる人にとってはそうではない。これから変わってしまうことをわかってしまったらその行動自体をやめる人もでてくるはずだ。けどもし、様々なことを恐れる人も、非日常はこれからの日常を作り出すきっかけなのだと前向きにとらえれば(少なくとも後ろ向きにとらえなければ)、面白くもなるし、必要以上に不安に感じる必要もないと思う。むしろ楽しいものになってくるのではないか。

 恋愛の話だと特に具体例は多い。偶然の出会いだとか、普段は勇気がないのだけどそのときは頑張ってみたとか。ドキュメントを何十本も見たがそのような話ばかりだ。けど、恋愛だからこそそうなっているという訳でもない気がする。そしてそれは間違っていないだろう。なんとなく足を運んでみた。初めてこれを食べてみた。嫌々ながらもその人と関わらなければ行けに用事があった。

 何も嫌いなことやいつもと違うことを強要する訳じゃない。純粋に好きな人もいる。そして、好む好まないに関わらずその非日常な、特殊な出来事は人選にふらふらと現れるので面白い。それをたっぷりと受け入れている人と、それを極力避けようとしている人とで違いが見られるかもしれない。意識的でも無意識でも。