Carpe Diem

Think good thought.

わずかな時間

 

 よく、時間の無駄という言葉が使われる。それをする意味はない。それをすることによって貴重な時間を無駄にしている。またはもっと良い時間の過ごし方が出来るのにそれを選択する意味が分からない。効率的、合理的な過ごし方があってそれは尊ばれるべきものだと考えている人がいる。

 もちろん、あたりまえのはなしではあるが無駄なことなど一つもない。振り返ってみれば。どんなことにも何かしらの意味はあるし将来にも過去の認識にも影響を与えるだろう。確かにそのときの最高の選択ではないし合理的でも生産的でもなかったように思われるかもしれないが。

 人生は死ぬまでの暇つぶし。せっかく生きているのだから、生きられるのは今しかないのだからと言って必死に毎日を生きる人がいる。目標や信念、情熱。様々なものが人を突き動かしていく。生き方や捉え方は多種多様で個人的なものである。そのように生きていくことが楽しい人がいればそうではない人もいる。しょうがなく死ぬまで生きなきゃ行けないと思っている人もいるかもしれない。やりたいことが多すぎて時間が足りない人もいればやりたくないことが多すぎて困っている人もいる。時間が足りなくて頭を使いさらに楽しい生き方と実現を巻き起こしていく人もいれば、時間があまりすぎてあまたな可能性を生み出してしまう人もいる。

 時間の無駄だと言われるいくつかの行為がある。それは例えば写真を撮ること、映画を見ること、本を読むこと。

 写真に関しては一秒も見たないうちにシャッターを押すだけで永遠の記録に残るきっかけが出来る。そして自分以外の人々ともそれを共有することが可能になる。何百枚撮ったって、一枚は一秒程。それを見返したり思い出したりして心が温まる時間は長い。撮り過ぎ、時間の無駄、本当にそんなことを思うのか。

 映画に関しても小説に関しても全く時間は奪われない。映画なら二時間もあれば小説一冊分の映像を見ることが出来る。映像を楽しむのにも学ぶのにも最適だ。付随的に得られるものが多い。

 本に関しても一ページ一分としてもそれほど時間はかからない。一生の思い出となる作品に出会うことはそう難しくはない。たった少しの時間で過去の偉人と対話したり違う国の言語や文化にも触れられる。

 これらが時間の無駄なのか。

 数えてみても一、二時間なんて人生の本の一部でしかない。シャッターを押すその一瞬も。そのわずかな時間が人生を大きく支えているのではないだろうか。