Carpe Diem

Think good thought.

思いやり

 

 思いやり。思いやる人と思いやられる人がいる。与える人と与えられる人。受け取る人。両者がいてこそ成り立つものもある。受け取り方は人それぞれ。自分が何を示すかが大切な場合もあれば、自分がそれをどう受け止めるか、もしくは他人がそれをどう捉えるかが大切な場合もある。社会は様々な人で成り立っている。もちろん一人だけで生きていくことは出来ない。出来るかもしれないが他人や自分以外のものとの関わりは自然のものとして避けられないし、全力でそれを避けようとしている人はほとんどいない。

 思いやり、を思いやりと感じる心。それを感じることが出来たら温かい気持ちになる。それは自分がそのように感じたからだ。相手の意図はあくまでも相手の意図。人は日常の大半の時間や体力、能力を様々なものを読み取って感じていくことに費やしている。それが生きるということかもしれない。どう感じるかが大切なのだ。

 世の中に他者を傷つけようと思う人がいないとする。いなくなったとする。例えそうだとしても、傷つく人はいなくならないだろう。傷つくのは感じ方の問題かもしれない。一人で暮らしていても、相手が人ではなくても人は傷つく。どうして自分はこんなに恵まれていないのかと考え込むかもしれない。同じくらいの幸福が人生で起きているにもかかわらず、いわゆる不幸や悲劇から目をそらさずにはいられない。自分の周りで大切な人がいなくなってしまう。人間関係かもしれないし、寿命かもしれない、何だってあり得る。その一つのことがきっかけで人生が違う方向に行ってしまう。良く悪いで分けられるものでもないが、うまく行かない方向に陥ることが多いとされているのではないか。けど、同じ人生の中で自分にとって大切な命が生まれるときも必ずあるだろう。不幸も幸せも、出来事の割合は実際変わらないのかもしれない。

 どこに目を向けるのか。どう感じて、どうして行こうと選択していくのか。どこに焦点を当てるのか。自分は人を傷つけていないか、傷つけようとしていないか。思いやっているのか思いやられているのか。受け取り方は自由である。自分で選択することが出来る。そうであるとすれば、受け取られ方もまた自由でありうる。自分の意図と関係なく、もしくは逆の方向にも物事は進みうる。ただ、傷つけようと思う人はいなくなっても、傷つく人がいなくなるわけではない。